紅い雫
誰の助けも無い。
このまま、死ぬの? 私?
鉈が振り下ろされる瞬間は、とても長い一瞬に感じられて。
私は、目をつぶった。
「あああああああああああああっっっっ!!!」
教会に響く紅い叫び。
だがそれを発したのは――。
「……え?」
なつみは、違和を感じて目をあけた。
斬られたのは、私じゃ、無い。
よく見れば、目の前にいたはずの秋子がいない。
これは……どういうことなの。
「うっ……うっ……」
呻き声が聞こえる。
これは――。
死角になった客席の影から、一人、立ち上がる。
「あなたっ……」
気絶していたはずの、繭。
いつのまに――。
斬られてるんじゃない。大丈夫なの!?」
「かすり……傷ね」
肩を抑えながら、繭は少し足を引きずってそこから離れる。
傷は……それなりに深い。
だが、命に関わるほどでもない。
「大……丈……夫」
「早く……そこから離れなさい」
いつのまにか起き上がった晴香は、静かに言った。
「――まだ、終わってないんだから」
その言葉に反応したように、
むくりと、彼女は立ち上がった。
ボロボロの風体でなおも立ち上がる秋子。
口からこぼれる笑い声。
そして、それを見た三人は絶句する――。
・
「どうして、祐一さんはいないんでしょうね?」
「祐一のことだから、きっと夜更かししてまだ寝てるんだよ」
「あら、そうなのかしら」
「うん、祐一もおねぼうさんだね」
「まあ、名雪はずっと祐一さんに起こしてもらってたって言うのに?」
「うーっ、いつもじゃないよお母さん」
「ふふ。でも、それってとても幸せなことじゃないかしら」
「……うん。わたし、今とっても幸せ」
「幸せだよ――」
両の瞳から滴る雫。
それは、まるで彼女自身を象徴したように、紅い――。
・
「あああああああああ!」
晴香は斬りかかった。
もう、中途半端な真似はしない。
刃を、向ける。
そうしなければ止まらない。
その紅い涙は止まらない――。
秋子は鉈を振り回す。
――よく見ると、肘が変な方向に曲がっている。
大きな音を立てて、それが風を斬る。
晴香はそれを避ける。
両手で握った日本刀の重みが、
なぜだかいつもよりはっきりしている。
秋子の目は――もう、こちらを向いていない。
振るう。
その刀を振るう。
すると簡単に秋子の方に刺さった。
握られていた鉈が、落ちる。
いやな感触が、手のひらに広がる――。
バチィィィン!
秋子は、反対の腕で晴香のことを殴った。
その勢いで、晴香は客席に叩きつけられた。
考えられない強さだった。
そしてその帰り手で、
肩に刺さった日本刀を引き抜いて捨てた。
刀はカランと音を立てた。
少しまごついた。
なぜなら、
秋子の細くて綺麗だった指は、
もうどれもひしゃげて、使い物になっていなかったから。
秋子は、そのまま晴香の方に迫る。
ずりずりと足を引きずりながら、少しずつ迫る。
晴香は、動くことが出来なかった。
恐かった。
乱暴な口調でごまかしていたことが、
どうにもならないところまで来ていた。
血に染まった赤い瞳は、あまりにもさびしそう過ぎて。
晴香には、
そこから逃げることも、
目を背けることも出来なかった。
「……ああ、あああああ……」
声も、出ない。
虚ろに、もう、嘆きも届かないほどに虚ろに、
秋子は迫った。
ぶすっ。
鈍い音がする。
何の音だろう、これは?
晴香は、目の前に迫りつつあった秋子の、
――その腹の辺りから、何か突き出ているのを見た。
捨てたはずの日本刀だった。
それを拾い上げた繭が、
秋子を刺した――。
荒い息が聞こえる。
それは繭のものだ。
だが、刺された秋子からは、何の声も発せられない。
ただ、そのまま止まっていた。
ばぁん!
再度、扉を叩く音が響く。
息を切らし、そこに一人の少年が立っていた。
・
「……最後まで………………遅刻だよ…………」
・
天井のステンドグラスから、七色の光が差し込む。
教会の真ん中で、
艶やかな笑みを浮かべて、
その少女は言った――。
・
「祐一」
・