望まぬ遭遇
森は、深く、深く、何処までも続いている。
その中で、草を踏み締め、歩く音。
三人の足音。
鋭い目を持った、黒ずくめの男、国崎往人。
その後ろを、幸いにしてまだ生き長らえる事の出来た二人の親子が付いてきていた。
神尾親子だ。
晴子は、三人の一番最後尾に居た。
その手に、シグ・ザウエルショート9mmを構え、滑るようにして付いてきていた。
一般人の手には馴染まぬ筈のその銃は、何故か、滑稽なまでに自然に見えた。
そして、三人の間には、恐る恐る進む少女、観鈴の姿。
その手には、これまたしっかりとナイフが握られていたが――
恐らく、これが使われる事はあるまい。
観鈴は、殺す事の出来ぬ子であった。
――早い朝食を摂ってから、どれだけ経ったろう?
結局のところ、あれから誰にも会う事は無い。
念のため、ということで用心はしていたものの――
襲撃どころか、誰一人として接触も叶わず、ただふらふらと前へ進み続けるばかりだ。
太陽が、既に木々の上から姿を現そうとしていた。
もう、随分も経つ。
放送も、流れた。
――その中で。
彼らは。
佳乃の死を、知った。
それから、無言が続いている。
互いに、何も言わず。何も触れず。
だが、決して"それ"から逃れようとしているわけではなかった。
だからこそ。
何も言わなかった。
往人の足が止まったのは、それからもう少ししての事だったろうか。
続いて、観鈴が素早く足を止めた――
ちょうど横を見ていたところであった晴子が、歩く勢いもそのままに、観鈴の背中に体当たりした。
土の上に転ぶ二人。
「つぅーっ……」
「が、がお……」
ぽくっ。
森の中に、割と小気味の良い音が鳴る。
「その口癖止めえって、前から言うとるやろ」
「が……」
もう一度出そうになったものの、辛うじて押し留まった。
「何やってんだお前ら」
往人の軽い突っ込みが入った――が、その声は冷ややか。
至って、冷静に。突っ込むのに適した声ではない。
それを感じ取った晴子の目が、すっ、と細まった。
「――なんや。おるんか?」
「……いや、分からん。だが、恐らくは、何かがいるってところだな――」
「………」
じゃきっ。
鉄の音。
一変して緊迫したムードに包まれた観鈴が、一歩身を引いた。
正解だ。万が一戦闘に巻き込まれたとして、観鈴が戦う術を持っているわけではない。
言うなれば――言い方が悪いかもしれないが――足手まといであるのだから。
万が一、あったとしても、投げナイフ。使いこなせと言う方が酷だ。
それでも、その右手に握られたナイフは離さなかったが。
往人は。
冷静な表情の割に、突然の遭遇に焦りを覚えていた。
手に握る、やたらと重い銃。残り一発のデザートイーグル。
――これだけで、戦えるのか?
牽制には使えない。当てるつもりで使うのなら、一撃必殺を狙う他、無い。
仕方がない――ハッタリを、使う。
「――そこにいる奴。悪いが、出てこないのなら勝手に撃たせてもらうぞ」
がさ、と草が揺れた。
これで、予感は確信へと変わった――すぐ側に、誰かが居る。
晴子の顔にも、より緊張が漲っていく。
――沈黙。
返事は、無い。
「――蜂の巣になりたいのか?」
脅す。
これで、姿を現してくれれば――
「出たところで、撃たれない確証はありません」
――返ってきたのは、いつか聞いた声。
少女の声。
自分の記憶が正しいのなら――
「――お前、まさか住宅街の時の」
「茜、です」
静かな声。
それは森の中から。
上から聞こえる気もすれば、すぐ側の草むらから聞こえる気もする――
森の作る闇が、往人の感覚を狂わせていた。
何処だ。
何処にいる。
「――名前なんてどうでもいい――攻撃する意志が無いのなら、こっちも撃つつもりはない」
「何故です?」
疑問を投げ掛ける返事。
心なしか、後ろから聞こえてくるような気すらしてきた。
「貴方は、私を殺すつもりだった筈です」
「それは、お前が俺を殺すつもりだったらの話だ――やる気の無い奴に銃を向ける程、落ちぶれてはいない」
そう。
それは往人の予想。
この少女に、自分達を攻撃する意志は無い、という。
無論、それはあくまで予測に過ぎない。
何処か、近くから三人の命を狙うべく時期を見計らっているだけに過ぎないのかもしれない。
――だが、それなら何故。最初の一瞬で、撃たなかったのか、と。
その事実が、往人の勘を呼び起こす。
「――確かに、やる気はありませんね」
ふぅ、というため息の音――それが聞こえるという事は、それほど遠くはないということか。
「むしろ、やる気を削がれた、といった感じです――何処かのヘタレ男さんに」
「………」
茜の独白が森の中に溶けていくのを待って――往人は、銃を下ろした。
無論、右手には握られたままだ。いざとなれば、即座に構える事も可能である。
だが、しかし。
――晴子は、往人の行動に従った。四方八方に巡らせていた殺気を静めると、銃口を下げた。
「出て、いいのなら出ますけど」
「――そう、だな。後ろから刺されかねないというのも厄介だ――姿を見せろ」
「―――」
がさり。
音は、上から聞こえてきた――
往人が、上を見上げると同時に、近くにあった木の上から亜麻色の髪の少女が姿を現した。
とさ、と地に着く音。軽い。
しかし、先程の草むらの音はフェイクだったのか。
つくづく、油断のならない女だ――と、往人は何と無しに思う。
「お久しぶりですね」
「会いたくはなかったがな」
「――まったく、です」
ふぅ、と目を閉じて溜息。
観鈴は、目の前に立った彼らの様子を、そして現れた少女の姿を呆然と見つめていた。