閑散。
――まだ、少し熱がある。
柏木初音は、――まだ青い顔をした七瀬彰の傍で、そう呟いた。
実は、それ程外傷が多いわけではなかった。
当然、外傷が小さいという意味ではなく、後頭部に大きな傷があり、
右足の甲が半分無くなっているのは、まともな行動を取るには、大きすぎるほどの障碍だ。
――先程、確かに彰は腹を銃弾で撃たれたのだが、彼は実は防弾チョッキを着込んでいたらしく、
それに関しては大した傷はなかったようだ。
後頭部からの血も、なんとか止まった。
だが、失血の多さは隠しきれない。顔の青さがそれを証明している。
「――どうだ? 彰くんの様子は」
柏木耕一が部屋に入ってきて、そう呟いた。
「大丈夫だよ。だんだん熱は下がってきてるし」
「そうか。――替わろうか?」
「ううん、大丈夫」
頑として首を振る初音を見て、耕一は溜息を吐いた。
「あのね」
初音が、ふと、耕一に話しかけた。
「彰お兄ちゃんはね、わたしに、新しい日常をくれる、って、云ってくれた」
耕一は、黙って、その哀しい後ろ姿を見る。
「皆、日常が壊された。もう、帰れたとしても、お姉ちゃんは皆、死んじゃった」
「――」
「けど、彰お兄ちゃんは、わたしに、きっと、日常は何処かに、何処にでも、あるんだって、云って」
そして、泣き出した。――さめざめと、静かに、静かに。
「彰お兄ちゃんに死んで欲しくない。何処にも行って欲しくない。――皆で、帰りたい」
「――ああ、判ってる、もう、彰くんは、何処にも行かせはしない」
耕一は、その震える肩に手を置いて、その体温を確かめた。
ぱちり、と目を開けた鹿沼葉子は、すぐ横に座っていた少女――七瀬留美を見て、微かな息を漏らした。
「あ、起きた、葉子さん」
「――七瀬さん」
殺し合いの初期に出会った、少女だった。
「お久しぶり、葉子さん」
――髪を切ったのだろうか? 或いは、切られた? 長かったお下げがそこには無い。
その視線に気付いたのだろう。七瀬は笑って、
「ああ、これは切ったんだ、動きにくかったから」
はぁ、と葉子は溜息を吐いた。
まあ良い。取り敢えず目が覚めたわけだ。早く目的を、この殺し合いを終わらせに――。
だが、動こうとすると、ずきり、とお腹が痛む。
「あ、まだ動かないで、無理はしちゃ駄目だよ。――包帯も替えなくちゃね」
と、七瀬が傍らに置いてあった包帯に手を伸ばす。
「七瀬、さん」
――聞いてしまったのは、私がげすだからかも知れない。
葉子は、呟いて、後悔した。
きっと、視線で判ったのだろう。七瀬は力無く笑って、
「――うん。二人とも」
「ごめんなさいっ! 私は最低だ、――ごめんなさい」
「気にしないで。――気にしないで」
七瀬は笑っていた。けれど、それは笑っているのだろうか?
なんて弱い顔。泣き出しそうに笑う。
罪悪感が、自分を支配した。放送に気を払っていれば、七瀬の傷を掘り返す事も無かったのに。
折原浩平、そして、長森瑞佳。本当に、良さそうな三人だったから――。
すごく、哀しかった。
「にしても、ありがとね、葉子さん。葉子さんがいなかったら、初音ちゃんも、彰くんも危なかった」
話題を変える風に、七瀬は今度こそ少し微笑みを浮かべて、そう云った。
「いえ。――私が無力だった所為で、結局あの二人を危機から救う事は出来なかった」
「ううん、皆感謝してる。葉子さんのお陰で、色々なものが救われたから――」
葉子は何も云えない。自分の、不可視の力が封じられた時の無力さを、身体で実感したのだから――
そこで、葉子は、はっ――と、気付いた。
まさか、自分は、まだ――
握り拳を作る。――そして、事態の深刻さに気付く。力が入らない。
不可視の力が、完全に封じられたままだ!
「駄目、まだ動いちゃ」
「そ、それどころじゃありません」
「それどころよっ」
強引にベッドにねじ伏せられる。少女の腕力にも対抗できないほど、自分は弱り果てている。
「寝ておいて。色々しなくちゃならないのは判るけど、今は身体休めて」
――七瀬はこちらから目を離しそうにない。
まあ、取り敢えず、あの機械を取りに行くのは、身体を休めてからでも良いか。
葉子はそう思って、目を閉じた。
あっさりと睡魔が襲ってきて、身体の力が抜けていく。
眠りに落ちた葉子の包帯を替えていると、耕一が背後に立っている事に気付く。
「――まだ、眼醒めない? 葉子さんも」
「ううん、今、醒めた。でも、すぐ寝ちゃったよ」
「そっか」
「うん」
「彰くん、は?」
「全然まだみたいだ」
「そっか」
そっか。七瀬はもう一度呟いた。
これからどうするんだろうな?
耕一は、ぼそり、と呟いた。
「――潜水艦が、あるらしいんだよ」
「潜水艦?」
「高槻が、死に際にね、そう云った」
――怪訝な顔をした耕一の、大袈裟な溜息が聞こえた。
「信頼できるのか?」
「判らないけど、なんとなく、信じてみたい」
「今まで自分たちを殺し合いさせて来た男だぜ? 俺達を弄んでいるだけかもしれない」
「――きっと、本当は、殺し合いなんて、させたくなかったんだよ」
あの人も。――七瀬は、哀しげな眼で、そう云った。
何故、あの男にそんな言葉をかけるのか、その理由は判らない。
けれど、それは、鉄パイプを振り回していた時の鬼神のような表情とはまるで違う、
優しい、慈悲の女神のような、表情だった。
「葉子さんと彰くんが目覚めたら、だから、捜しに行こう? 潜水艦を」
そう云う七瀬に、耕一は頷いた。
どうにかして、皆で帰りたい。
生き残っている人間すべて、傷つかないで、帰りたい。
――だが、すんなりとそうは行かないようだ。
ふと、耕一が振り向いて窓の外を見たのを訝しんで、七瀬は訊ねた。
「どうしたの?」
「結構――寒くなってきたな、なんか、身体が冷えるわ」
「そうね。割と昨日とかは暖かかったけど」
便所行ってくるわ――と、耕一は立ち上がり、部屋を出ていった。
七瀬は――嫌な予感を覚えながらも、それを止めなかった。