僕たちの失敗 -花咲く旅路-


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 私が水汲みから戻ってきたとき、ジュンの姿はそこになかった。荷物は山賊に荒らされたように、ことごとくひっくり返されてめちゃめちゃにされていて、私が覚えている限りの武器だとか食料だとかが持ち去られていて、ただもずくの山だけが散らばっていた。気がつくと私の腕から川で汲んできたペットボトルの容器がどさどさっと落ちて、そのうちの緩く栓をした一本から流れ出した水が私の足元をしとどに濡らしていた。靴下の中に入り込んできた水が、どうしようもなく気持ち悪くて、嘔吐しそうになった。

 結局、私の財産は釘打ち器ともずくとCDだけになった。他には何も、誰もなくなってしまった。どういうことだろう、手に入れたいと思ったものはやはり、手の間からこぼれ落ちる水のようにことごとく消え落ちていってしまった。

 だから。

 だから、今限りで欲しい欲しいと指をくわえて身体を震わすことはやめにした。そう思うこともやめにした。

──これじゃなくちゃ駄目ってものはあるの。何でもそう。これじゃなくっちゃ駄目ってのは。

──麦藁帽子もヒロユキもそう。同じなの。本当にほしいなと思ったものは手に入らなかったの。

──一番欲しいものが手に入ったためしなんてないの。いつもするりと、ワタシの周りを滑ってすり抜けちゃうの

 私がジュンに言ったことを彼はまだ覚えているだろうか。あの時私は大変な思い違いをしていたのだと思う。あの麦藁帽子が本当に欲しかったら、あの時谷底に飛び込んでつかみ取ればよかったのだし、本当にヒロユキを求めるのならばすべてをかなぐり捨てて彼を探せばよかっただけなのだ。結局、麦藁帽子は谷底で朽ち果て、ヒロユキは心の底から彼を求めて愛したアカリと一緒に、私がいくら手を伸ばしても届かない場所に旅だった。
 そう、おそらくアカリは手に入れることができたんだと思う。彼女はこの世でたった一つの大切な物を手に入れて死んでいったのだと思う。あの笑顔は本当に自分が手に入れたかった物をつかむことのできた人間しかできない笑顔だった。

 大体私を含めたそういう人間は事実を認める事に対してただ臆病なだけなのだ。そして結局くだらない事に拘って自滅してしまう。私は現在日本の高校生だけども、髪はブロンドで瞳が青いハーフだ。そしてステイツやニッポンの両方で今迄そういう人間をいっぱい見てきた。その度に嫌な気分を味わい、目をなるたけそむけてきた。距離をとる為に辛い思いもしてきた。

 だから私は学校に着くとまず自分を薄い膜で覆っていた。その膜は半透明で、誰にも見えない。私にも見えない。ただ、私だけがその存在を感じ取る事ができる。この膜だけが今のところ、私を守るすべてだ。この膜はいろんな諸々の事、例えばいわれのない悪意や、押し付けがましいだけの善意や、根拠のない期待や、そしてくだらない失敗などから守ってくれる。それはブロンドの髪と青い瞳を持つ”ニッポン”の高校生の私にとって掛け値なしに役だってくれた。

 そしてときおりこの膜は縮んだり伸びたりして私を必要以上に大きく見せたり小さく見せたりする。そして様々な形をとって、主に私を翻弄する。他の人にはこの膜は見えない。私でなく膜に過ぎない事がわからない。だからずいぶん、得もしたし損もしてきた。

 もしかしたらこの膜はすべての人が持っているのかもしれない。私には見えないからそれがわからない。もしヒロユキやアカリやジュンがこれを持っていて、そしてもう少しうまい使い方があるのなら、是非とも教えて欲しかった。
 私にはそれが必要なんだ。でも、残念なことに今は誰も私の周りにいなかった。

 だから、私は走ることにした。

 ラジオでヒステリックにがなり立てるユースクエイカーのように、私はジュンの名前を何度も何度も叫びながら走った。足が地面につく度に、水を吸い込んだスニーカーの中がぐちゅぐちゅと不快な音をたてたけど、私は気にしないで走り続けた。草が深くて何度も足を取られそうになったけど、私は走り続けた。
 走って叫んでいると、目が溜まらなく熱くなって、やっぱり熱いなにかがこみ上げて来て走るのがとても辛くなったけど、私は走るのをやめなかった。

 この先ジュンを探し出して、また私が必死で考えたことを彼に伝えることができたときに、そして彼が私を包み込んでくれて、頷きながら私の話を聞いてくれたときにはじめて、今まで私の心を捕らえて離さなかったあの麦藁帽子も、きっとまた私の所に還ってくるのだと思う。

 そしてその時私は、本当に求める物を手に入れられるのだろう。

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