張られた本と下された手
――ふと、目が覚めた。
今まで自分が見ていた悪い夢が覚めたのかとも一瞬思ったが……そうではないことにすぐ気づく。
目の前には、ただむやみに大きなテーブルが広がっていた。
既に自分以外の五人は、自分の席についていない。
「……眠ってしまいましたか……いけませんねえ……」
ただ一人その空間に存在している人物、長瀬源之助があくびをかみ殺しながら呟く。
現実問題として――。
ただ一人管理人としてこの場所に残っている以上、当然責任というものは全て自分にかかる。
源四郎も、源五郎も、源三郎も、源一郎も、フランクも。
他の管理者としての『長瀬』は皆、自らの意志でここを降りていった。
「……源四郎殿は、来栖川綾香の死をきっかけとして、己の戦場を求めて」
――皆よ、悪いが私はこの時点でこの円卓を抜けさせて頂こう。
――身勝手と言いたければ言うがいい。私は失った半身を埋め戻しに行く。
――私がいなくとも、源之助、貴様がいれば”長瀬”は動く。問題はない。
――私に長瀬を問うというならば、それは来栖川を優先した前提でのことだ。
――私は、ただ昔に立ち戻っただけに過ぎないのだからな。
「……源五郎殿は、放逐された高槻の役割を自ら背負うために」
――それじゃあ、僕は高槻の代わりに施設の統括を担当してきますね。
――父さんが降りて、僕が駄目って道理もないでしょう?
――憎まれ役は慣れてますよ。第一、僕たちはそのためにここにいる。違いますか?
――源之助さん、僕はね。マルチとセリオを戦場に送る時点で人間をやめているんですよ。
――僕のかわいい娘たちは、もう二度と笑わない。たとえ直せたとしても、ね。
「……源三郎殿は、その強すぎる正義感が祟り、源四郎殿を許せず」
――身勝手なもんですな、あの親子は。……自分たちだけが悲しいとでも思ってるのか。
――悪いが、私もここで下ろさせてもらいます。……二人下ろした上、駄目とは言いますまい。
――ここに戻るつもりはないので。……私は、私以外のモノになってしまうつもりでね。
――私が本気でこんなことに賛同してたとでも思いましたか? 私は……刑事なんですよ。
――柳川よ……恨み言はあっちで聞いてやるさ……。
「……源一郎殿は、自らが抱えた罪への自分なりの贖罪のため」
――悪い。俺も、降りていいか?
――そんな顔しないでくれ。これでも悪いとは思ってる。すまん。
――俺は、ここでこうしてただ見ていることに、疲れた。それだけだよ。
――なあ爺さん。俺たちに誰かを……まして、自分自身を裁く権利なんて、あると思うかい?
――小言は戻ってから聞くさ。どんな罰だって受けてやるよ。
「そしてフランク殿は、祐介が死んだことに対し……復讐を誓った」
――悪い。降りる。
――心の整理が、つかん。
――エゴだ。これは。
――許すなど、できない。
――身勝手、だな。
「…………」
ふう、とため息をつき、源之助は椅子の背もたれに体重を乗せる。
きしり、と椅子のバネがきしんだ音を立て、電子音だけが響く室内を耳障りにかき乱す。
結局のところ、全員が全員、心の底ではこの企画に賛同などしていなかったのかもしれない。
源之助もそうだが、現に彼らのうち数人が配給品に細工を加えた様子もあった。
そしてその気持ちを表に出すには、あまりに彼ら『長瀬』は自分というものを制御できすぎた。
結局のところ……死地に向かう刹那、覚悟の段に至ってようやく、心情を吐露していったのだ。
「長瀬の名を冠するとはいえ……やはり疑心暗鬼には勝てなかったということですか」
遠い目をしつつ、モニターをぼんやりと見つめる源之助。
誰かが映っていたり、風景しか映っていなかったり、何も映していなかったり。
それに関してはどうでもよかった。
「若者とは、幸せですね……自分で死に場所を選べるんですから」
うっすらと目を細め、ゆっくりと口元を緩くする。
その顔は、優しげで、穏やかで……そして、哀しかった。
「私は……ここから決して動きませんよ。動いてしまえば、全てが終わる」
誰へともなく、ぽつりと口に出す。
あるいは、それは自分への戒め、言葉という名の呪いなのか。
「私がここにいなければ……皆の努力が無駄になる」
自らを押さえつけるように、己の身体に誓いの鎖を巻きつけるように。
源之助は、拳をぎりりと握りしめた。
その指の隙間から深紅の液体がしたたり、ぽたりとこぼれ落ちた。
「他人を死地に送る努力など、しない方がいい……ですが、全員が死ぬよりは……まし、ですよ」
そして源之助の瞳が、空を映した片隅のモニターに移る。
先程までからりと晴れていた空が、にわかにかき曇りつつある。
「スコールですか……いささか遅い涙雨ですね」
自分が、そして他の長瀬たちが、敢えて捨てたともいえる涙。
彼らに代わって泣くように、島は徐々に翳りに包まれていった。
――定時放送は、近い。
【源之助、自らの位置を固持】
【残り23人】