さよなら
鼓動。自分のものである筈のそれは、酷く大きく聞こえて。
背中に感じる、感触。それは、ずっと共に居た者。それは、今、まさに、死に絶えんとする者。
………。
これが、彼の最期。そんな事は分かってる。
だからこそ、逃げてはならない。逃げる事は許されない。
その為に――殺すのだ。
不思議と、震えはなかった。今から、人を殺すというのに。何故だろうか?分からない。
でも、分からなくてもいいのかもしれない。それは、分からずとも、"知っている"。
手に被せられる、大きな手。微かに震えている。でも、それは、確かに、心強かった。
最後の一撃を。
……最期の一撃を。
あの男に、叩き込む。
この銃に、思う事は何か。恐らく、あの男を殺せば、もう撃つ事は無い。その筈だ。
だからこそ、今思う。必ず、当てると。
音も。匂いも。空気も。
世界を。そして、自分を。全てを、銃と一つに。
否、彼と一つに。
凄まじいまでの集中力。死と、生を越えた、どこかにある、力。
御堂も傷さえ負っていなければさぞや驚いた事だろう。ゲーック!とでも言っただろうか?
………。
―――。
―――。
長い、長い、一瞬。それが、終わる。
姿を現した。白衣。男の顔。そうだ。狙うは、"それ"だ。
「撃てっ――!」
声。それよりも早く、詠美は、引き金を、
――轟音、二つ。
悲鳴を上げる暇すら無かったろう。血と、脳漿を撒き散らし、倒れるモノ。
放たれた弾丸は、その額に穴を穿ち。肉を破り、骨を砕き、脳を蹂躙し、引き裂き、吹き飛ばす。
朱と白の霧、その中に、倒れ込むは、
長瀬源五郎。
グシャァッ!
何かを叩き付けられる。衝撃に、バランスを崩し、詠美は後ろへ倒れ込んだ。無論、御堂も同じだ。
身体を打ち付ける。痛い。思わず、目を瞑ってしまった程だ。
どこ撃たれたんだろ。頭?って、それなら死んでる……よね。
酷く冷静な思考。頭じゃないなら何処なのか?いや、ひょっとしたらもう当たってて実は死んでるのかも?
まっさか。ゆーれいじゃあるまいし。失笑した。
………。
まだ、痛くない。おかしい。……やっぱ私、ゆーれい……?うぅ、いやいや。
………。
……?
当たってない?
気付く。だが、あの男が外す筈も無いだろう。なら、何に当たったというのだ。
ゆっくりと、ゆっくりと目を開く。
―――。
すぐに、それは分かった。
すぐ目の前。びくん、びくんと身を震わせる、何か。
目は虚ろ。生きているのか、死んでいるのかすら分からない。
それは――犬。ポテト、だ。
胴の真ん中。紅い、紅い穴。未だ、血を吹き出し続けるそれは、紛れもなく。
――そう。彼は、身を呈して。彼女を救ったのだ――。
――へへ。
彼は笑う。
へへ。へへへへ。
笑う。心の中でか。それとも、ちゃんと笑ってるのか?そんな事、知ったこっちゃねぇ。
女の顔が見えた。ぽかん、と気の抜けたような顔してやがる。ま、無理もないか。
ああ、痛ぇ。何やってんだろうな、俺。
気が付いたら、飛んでた。犬をナメたらいけねぇ。男の銃が、女の眉間を貫く事など、すぐに分かった。
あとは……このザマだ。くそ、痛ぇ。……なんか痛くもなくなってきてるな。
あぁ、逝っちまうのか、俺。人間の為に命張っちまって、それで死んじまうのか?やれやれだぜ!
………。
……ああ、女が、泣いてる。泣くんじゃねぇよ。せっかく助けてやったのによ。ったく。
あ、見えなくなった。なんかもう痛くもねぇな。とうとうオシマイか?
………。
抱き、上げられてるのか。血が付くってのに、よ。お構いなしかよ。
――でも、暖けぇ――な。
――ああ。こんな、死に方も――悪くねぇ、かも、なぁ――。
「その、獣が、おめぇを庇ったってぇのか」
「……うん」
静かな、通路。その中に、一つ、啜り泣く声。
「……けっ。たかが獣が、大したこと、しやがるじゃねぇか」
笑う。笑えば、笑う程に口から血は吹き出して。もはや笑う事すらままならない。
……それでもいい。死ぬのは分かってる。
顔。顔。記憶の中に埋もれたそれが、走馬燈のようにぐるぐると回る。いや、事実走馬燈か。
蝉丸――ああ、結局勝ち逃げされんのか。けっ。
……まぁ、しょうがねぇ、か。……地獄になんか来んじゃねぇぞ。来たら撃ち落とす。分かったか。
――ああ、あゆっつったか?あのガキか。泣いてやがる。おめぇ、頭の中でまで泣いてんじゃねぇ。ガキが。
くそ、そういやあいつのせいでこんな事になっちまったのか。呪うか?
………。けっ、面倒くせぇ……止めだ。
ぐるぐる。ぐるぐると回る。くそ、こんな所で死ぬなんて、よ。
――生きたかった。だから、何よりも、まずは生き残ろうとした。
最初の頃は――その為には、他人を蹴落とすつもりですらあった。――それなのに。
今じゃ、死ぬ前に笑おうってんだからなぁ……。けっ。腑抜けてやがる。
とりあえず、そう、ぼやく。だが、心の何処かで――それでもいいと。そう思っているのである。
自分は、変わったのだろうか?
白衣の男も言った。らしくない、と。
それに対して自分は言った。踊らされるのは、嫌だと。
……自分は、自ら、これを望んだというのだろうか。本当に、これを望んでいたのか。
これが。これが、本当の、俺なのか……?
詠美は未だ、泣き続けている。
「……泣いてん、じゃねぇぞ」
細く、細く。声は、虚ろに響く。
それでも詠美は、泣くのを止めた。そう、それでいい。
「泣いてたら、おめぇらしく、ねぇ、からな」
「―――」
「笑って――笑って、バカやってろ。そうじゃねぇ、と、おめぇらしく――」
がふっ。
血が舞った。吐き出された血が、死が近い事を示していた。もう、これまでか。
いや、もはや、目の前すら暗くなりつつあった。瞳孔散大。そうじゃなくても死が近ぇってことかぁ?くそったれ。
「……ぁっ」
何を言っているのか?いや、そもそも、何か言ったのか?それとも自分が聞こえてないのか。
「―――」
自分も何かを返す。いや、返した、筈だ。そんな事は知らない。本当なら、聞こえてはいない筈なのだから……。
目も。耳も。もはや全てが死に絶えようとしている。
それでも、口だけが動いていれば。少なくとも、それなら、あのバカは……寂しがらねぇだろう。
――そして、もはやそれすらも、動かなくなって。
……最期に、思った。らしくねぇな……と。
確かにそうだ。だが、それでも、
――満足だった。
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