空の継嗣、黒の啓死
「すまない、郁未」
私、天沢郁未の意識を繋ぎ止めたのはあいつのその言葉だった。
そして、その言葉と同時に、私の中で何かが膨れ上がる。
それは、憎悪、恐怖、絶望、戦慄、怒り、悪意、狂乱、殺意、黒いもの、熱く滾るもの。
――――――― 不可視の力。
まずい、これはまずい。
私の怪我なんてどうでもいい。
本能が鳴らすこの警鐘に比べたらどうでもいい。
ライフルを持った男なんてどうでもいい。
目の前の、確かに私が好きな人が放つ、この畏怖感に比べたらどうでもいい。
気がつけば、あの銀髪の男が私を抱えていた。
―――――――なんできたの!馬鹿!!
そう叫ぼうとして、でも私は震えるだけだ。
男、往人の方も聞く耳はないらしい。なんとか林の中へ離脱しようとする。
でも、それは甘い。あれはそんなことを見逃さない。
音も立てずあいつは恐るべきスピードで私達の後ろに回ると、その手が鋭い風きり音とともに振り回される。
「がっ!?」
「はうっ!?」
私と往人はその一撃を受けて別々の方向へ弾き飛ばされる。べネリが転がる。
恐るべき一撃だった。間違いなく不可視の力が込められいた一撃だった。
本来なら私達はその一撃で肉塊に変えられてだろう。
そうならなかった理由はただ一つ。
私が、不可視の力でガードしたからだ。
「…何やってんだよ!?あんた!!」
かろうじて意識をつないだらしい往人が叫ぶ。
「俺は、あんたらを助けようと…」
だが、そこで往人は口をつぐんだ。
気づいたのだ。もはや少年がそんな言葉の通じないところにいる事に。
おそらくは、そのことはライフルの男の方も本能で気づいていたのだろう。
だがライフルの男葉、本能よりも理性のほうを優先させた。
「・・・動くな・・・」
私の頭に銃口を突きつけ少年に警告する。
普通の状況ならば、確かにそれは最善の行動だ。
だが、今の状況はまさしく異常。
人の理性で対処できる範疇にはない。
少年は男にのことを歯牙にもかけず、つぶやいている。
「…消えて…いく…」
うつろな声でつぶやきながらこちらに手を伸ばす。
「僕が…消えて…いく…呑まれていく…」
ぶおん、という耳障りな音が次第に大きくなっていく。
こちらに向けた少年の手のひらにの上の塊が次第に大きくなっていく。
それは力の塊。私にしか見えない不可視の力。
それは、視覚以外の何かで男にも感じる事が出来たらしい。
「グッ・・・」
その表情はひとつの疑問をうかべていた。
それは私の持つ疑問と同じもの。
なぜ、少年は力が使える?
なぜ、私は力が使える?
この島にきてから感じていた抑止力は、結界は、今も確かにあるというのに。
呼応している。私の中の何かが少年に呼応している。
かつて少年が私に教えてくれた事。
不可視の力は少年と性行為をする事で、対象者の中に少年の分身が植え付けられる事で、授けられるという事。
だからなのだろうか?だから、私も少年の影響を受けて・・・
「なくなってしまう…僕が…」
分からない。もう、なにも分からない。
ただ、はっきりとした喪失感が私を満たしていく。
大切な人が目の前で消えようとしている、そういう確信が私を満たしていく。
はっきりとした恐怖が私を満たしていく。
化け物が目の前で私を殺そうとしている、そういう確信が私を満たしていく。
相反する感情が私を満たして、あふれようとして。
私はもうパニックを起こすしかなくて。
「銃を置いてください!撃ちますよ!!」
いつのまにか、観鈴がべネリを構えてライフルの男の頭に突きつけていた。
「わ、私、本気ですよ!!」観鈴が叫ぶ
「馬鹿!!観鈴、逃げろ!!」往人が叫ぶ。
「何やっとんねん、速くこっちへ!!」晴子が叫ぶ。
「・・・」突きつけられたベネリにも注意を払わず男がうめく。
「うあああああああっっ!!」私が叫ぶ。
叫んで、コントロールもおぼつかない不可視の力でシールドをはろうとする。
その中で少年のうつろな呟きだけがやけにはっきりと聞こえた。
「…呑まれていく…神奈に…」
そして、力が放たれた。
すさまじい爆音があたりを轟かし、
私のからだを衝撃がおそい、
薄れていく意識の中で、
「助けて…イ・・・ク・・・ミ…」
そんな声が聞こえたようなきがした。
…闇の中、私は夢を見る。
それは、私の夢じゃない。
夢なのにそれは、はっきりと分かっていた。
それは、少年の記憶、私の中の少年が見せる夢だ。
「成功だ!」
その声ともに数人の白衣の男達が歓声を上げる。
その胸にはFARGOのロゴがついている。
「ようやく、力の結晶化が達成したな…」
それは計画。FARGOが空に浮かぶ少女、呪われた少女、意識を持つ闇を纏う少女を発見した時から始まっていた計画だった。
「やれやれ、あの茶番劇にも意味はあった訳だ」
一つの島に集められた人々。殺し合いを強要される人々。
彼らは贄だ。
空に浮かぶ呪いは、更なる呪詛を求める。
それは、悪意、絶望、恐怖、殺意、怨恨。それが求める呪詛。
殺し合いが進むうちに生まれる贄達の呪詛は、空に浮かぶ呪いに更なる力を与える。
そうして、FARGOはその力を掠め取る。掠め取って結晶化させたのが…
「しかし、これに擬態と偽装人格など必要なのかな?」
「擬態は必要だろう。正視に耐えんよ。この姿は」
「偽装人格も必要ではあるさ。力の植え付けには被験者との性行為が必要だからな」
それが、少年だった。
さわやかな風が私の頬なで、草の匂いが私の鼻腔をくすぐる。
「う…ん」
「やぁ、ようやくめがさめたようだね」
覚醒した私の耳に、少年のいつもの穏やかな声が届く。
私は、ゆっくりと目を開け、周りを見ようとして立ち上がろうとして、崩れ落ちた。
「ああ、まだ動かないほうがいいよ。結界内で力を使った反動がきてしまっているしね。大体、郁未の受けた傷は決して浅いものじゃないんだ。手当てはしておいたけどね」
言われて私は、肩を、足を見る。確かに手当てがなされていた。
「ありが…と」
そういって私はゆっくりと首を回す。
側には二人の人間が倒れていた。栗毛色の髪の少女、観鈴と、ライフルを持った男だ。
二人とも草の中で眠っている。
「…なんで、草原なの?ここ」
確か、林の近くにいたはずよね。
「ああ。」少年は苦笑した。
「結界内で無理に力を使っちゃったからね。しかもろくにコントロールも出来ていない二人が力をぶつけ合っちゃった訳だから力が暴走しちゃってね。島の中のどこかに転移しちゃったらしい。僕ら4人だけ」
「へぇ…大変だったんだね」
けだるく私は返事した。
「何だよ、もっと驚くことなんじゃないかい?」
「だって、どうでもいいもん。」
私、知ってしまったんだもん。
何もかも知ってしまったんだもん。
その声は変わらず穏やかなままなのに、その表情は変わらずひょうひょうとしたままなのに。
私が心から大切に思っていた人はもういないって事を。
「あなたが、ジョーカーだって事を、知ってしまったんだもん」
そっと、草原に風が吹き抜ける。
「…そうか、知っちゃったか。」
少年は変わらない調子で続けた。
「君は僕の継嗣だからね。意識がつながってしまったようだね」
「…いつからそんな風になっちゃたの?」
「君と会うちょっと前ぐらいからかな、姫君と意識が交わりはじめたのはね」
「もっとも僕、いや僕という偽装人格はそれを自覚していなかったけどね。姫君の事は忘れるように偽装人格は施されていたから。実際おかしな話だったんだ。僕だけが結界内で他の人よりも力を使えていたんだからね」
「なんで、そんなことになっちゃたの?」
「長瀬たちの不注意のせいさ。どういう事情があったか知らないが姫君をその力を封じてある社から別の社へ移動したらしい」
「…社?」
「そう、姫君の力を結界という抑止力のみに使うようにするためのものさ。
もちろん、移動中も結界の効力が続くように、何らかの法術は用いていていたらしい。
結界がなくなってしまったらこの大会そのものが成り立たないからね。
ただ、その間にわずかながら姫君の封印が弱くなってね。僕と意識をつなぐことに成功したんだ。だが、意識が融和するさいにFARGOに施されていた偽装人格が邪魔になってしまった。
そのせいで、僕の力が暴走してしまったんだ」
「そして、側にいた私もその影響を受けてしまったわけだ?」
「そういうことになるね。影響を受けたのは多分側にいた君だけだろう。
結界内で暴走した力二つが激突すればただで済むはずが無い。
転移程度で済んだのは幸運だよ」
私は手のひらを見て、そこに意識を集中させた。
「・・・今はもう力はつかえないわね」
「姫君が再び別の社に封じられてしまったからね
もう不可視の力を使うことはできない。
私は寝転んだまま腕を顔の前に持ってきて表情を隠すと、さらに尋ねた。
「あなたは、もう、いないの?」
「偽装人格の話をしているのなら、もういない。本来僕らには我という考えはないんだ。結局僕らは姫君の分身だからね。FARGOのもうけた偽装人格は先程、姫君の意識に飲まれて消えてなくなったよ。もちろん便宜上、独自の思考能力と、偽装人格が持っていた記憶は残っているけどね」
「…悲しく、ないの?」
「そういう主体性は、僕にはないね。まあ、本来ならあるべき形に戻れたのだから安心すべきなんだろうけど」
「これからどうするの?」
「うん?もちろん姫君の望むとおりこの大会を進行させてもらうよ。確かにこれは贄としては最上のものだからね、ただ…」
わずかに、少年の瞳が鋭くなる。
「今回は、今までとは様子が違うな…。人外の力の持ち主が多すぎる。管理もあまりに杜撰だ。前回の大会で弱体化したFARGOではなく長瀬一族が主催しているというのが気になるな…何を考えているんだろうね?」
少年は肩を竦めた。
「結局、偽装人格には感謝すべきだろうね。僕と姫君とのつながりを隠す、いいカモフラージュになってくれた。
FARGOとの関係は確かに蜜月のものだったけど、長瀬一族はまた別の意図をもっているようだ。
彼らの真意は確認する必要があるね」
「…なぜ、私を殺さないの?」
それが、最後の質問だった。
「…想像はついているだろう?」
「確認したいのよ。もう、甘い期待はしたくない」
「そうか」少年はうなずいた。
「君は、僕の継嗣だ。僕とつながっている。即ち、君たちは姫君とつながっている。姫君の分身が君たちの中にある」
「いつか私達も、あなたのように意識を侵食されるというわけ?」
「そういう事になるね。君たちには僕とちがって我がある。変化は僕よりは緩慢だろう。けれど、姫君の意識はいずれ君の我を飲み込むだろう」
なんで、そんなことが平気で言えるのよ。
さっきまで。ほんのさっきまで、私達恋人だったのに。
私、こんなに悲しいんだよ。張り裂けそうなんだよ。
なのに、なぜ笑っていられるの?あなたは。
そして、なぜ私は。壊れないの?
「一つだけいっておくわ。」
私はかすれた声で言う。
「あなたが、偽装と呼ぶあなたは。姫君とかいうやつが殺したあなたは。本物だった。本物だったのよ。
あなたは本気で怒ってた。私と同じ名前の少女が殺された事に本気で怒っていた。
あなたは本気で心配してくれてた。私の事本気で心配してくれてた。
あなたは本気で悲しんでいた。この島で殺し合いがおきている事を本気で悲しんでいた。
あなたは本気で照れていた。私のいたずらに本気で照れていた。
あなたは本気でわびていた。私に本気ですまないっていっていた。
あなたは本気でおびえていた。消える事におびえていた。私に助けを求めていた。
だから私は」
それは誓い。お母さんの時には果たせなかった誓い。
「あなたを助けるわ。それができないなら。あなたを殺してあげる」
少年は、しばらく私を見て。
「そうだね。君ならそう言うだろうと、思っていた。強いよ、確かに君は」
そうだろうか。
こんなに悲しいのに、それでも壊れる事ができないって言うのは、
とても、絶望的な事じゃないだろうか。
「こいつの荷物と、僕の荷物はおいていこう。僕には儀典があれば充分だろう」
少年は男を担ぎ上げると一度もこちらを見ないで立ち去っていった。
私も、少年の方を見なかった。
ないていた。涙を止める事ができなかった。
どうして、どうしてなんだろう。
どうして、私の大切な人は、私を裏切るんだろう。
初恋の人も、お母さんも、少年も。
わたし、あいしかたをまちがえているのかなぁ…
【少年気絶したフランク拉致。装備は儀典のみ】
【天沢郁未、神尾美鈴、草原に転移】
【郁未、ベネリM3、G3A3アサルトライフル等フランクの荷物
神尾美鈴の荷物、少年の荷物、自分の荷物所持】
【不可視の力は使用不可】
【結界は依然として維持】
【郁未の意識侵食開始】
【国崎往人、神尾晴子の状況は次の書き手に依存】