突き刺す雨


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「雨、か……」
 晴れの空から一転、突然降り出した滝のような雨に、マナは物憂げに窓の外を見やった。
 この島に連れて来られてからは初めての雨。
 森を歩いてる時に降られなくて良かったわ――場違いなことを考えている自分に、自然と笑みが浮かんだ。
「……頭の病気か? 怖いぞ、急に笑い出したりして」
「うるさいわね」
 窓から見えるのは突き刺すような雨の筋とどす黒い雲だけ。空が一瞬光り、雷鳴が轟く。もしかしたら嵐になるのかもしれない。
(いかにも何か起きそうな天気ね……そう、ミステリーなんかではこんな日に人が死ぬんだわ。
 この状況だと、私たちは同じ部屋にいるから安全として……葉子さんがナイフで刺されてたり、とか)
 不謹慎な想像が徐々に形になりかけていることに気づき、マナは軽く頭を振ってそれを追いやった。
 それでもまだ何となく不安だったので、思わず葉子の様子を窺いに行こうと腰を浮かせかけたが、耕一にバカにされそうだったので止めた。
「なんかさっきから挙動不審だな」
「……あなた、半病人のくせに口数多いわね。私に構ってる暇があったら可愛い従妹の心配でもしてあげたら?」
 マナは初音の方を顎でしゃくった。耕一がキュッと唇の端を噛んだ。
 雨が降り出す前から初音は窓の外を見つめたっきりだった。どこか遠い目で外の景色をじっと眺めていた。
 もちろん、初音が見ているのが景色などでないことは二人とも十分にわかっていた。
「見てて痛々しいわね。……あーあ、妬けちゃうなー」
「なんだ、マナちゃんにはそういう相手はいないのか」
「…………」
 言った瞬間、耕一はしまった、と思った。ひとときの平和な時間が、自分たちの置かれている状態を忘れさせていた。
 耕一は口をつぐんだ。謝るのは余計に失礼だと思ったからだ。この後、当然予想されるべき気まずい沈黙にも耐える覚悟はあった。

 しかし、マナはあっけらかんとして答えた。
「ふーんだ、彼氏の一人もいなくて悪かったわね。どうせ私はナマイキで可愛くないですよーだ」
「…………」
 今度は耕一が黙る番だった。しげしげとマナの顔を見つめる。
「ちょ、ちょっと、変なとこで黙んないでよ! 大体、女の子にそんなこと聞くなんてサイテーなんだから!
 はっきり言ってデリカシーゼロよ。あーあ、死んでもモテないタイプね、あなた」
 慌てて目線を逸らすと、マナは早口でまくし立てた。
 それを観察するように見ていた耕一だったが、やがてゆっくりと口を開いた。
「……うん、客観的に見て可愛くないってのはウソだと思うぞ」
 マナの頬にサッと赤みが差した。
 チラリと横目で見た耕一の顔が真剣そのものなのを見ると、さらに頬が熱くなるのがわかる。
「な、なによ! お世辞なんか言ったって何も出ないわよ!」
「でも致命的にナマイキだからな」
 耕一がニカッと笑ったのと、マナの蹴りが耕一のスネに炸裂したのが同時だった。
「ぐおぁぁぁぁぁっ! 痛ぇ! うああ……」
「……ほんっと女の人に縁のなさそうな――」
 ザザッ……
 マナの言葉を遮るように、外から雨に霞んだノイズ音が飛び込んできた。
(放送……!)
 反射的に身が硬くなる。そして――
『定時放送を行う』
(……あれ?)
 外のスピーカーから発せられている声は、好む好まざるに関わらず聞き慣れてしまった声ではなかった。
 少なくとも、あの不愉快な高槻の声でないことは確かだった。その声が、淡々と死者の名前を読み上げて行く。
(もう、今さら緊張して聞いたってしょうがないんだけどね)
 マナにとって大切な人たちは、既に全員この島で殺されていた。
 だが、実は夜中に出会い、傷の手当てをし、そして自分の在り方を考える契機となった男女――
 長瀬祐介と天野美汐と言う名前の二人がその中に含まれていたことは、マナには知る由もなかった。

 ――放送が終わると、耕一は無言でマナの方に視線を向けた。マナも同じく無言のまま、首を小さく横に振る。
 耕一は安堵したように息をもらした。
「そっか、お互い知り合いは無事か。良かった」
 無事でも何でもないのだが、マナは敢えてそれに口を挟もうとは思わなかった。
 ただ一つだけ、どうしても聞きとがめたことがあった。
「……良かったっちゃ良かったんだけどね」
 静かに目を伏せ、マナは耕一の足元に座り込んだ。
 それは以前からずっと思っていたことだったが、なんだか今不意に口に出してみたくなったのだ。
 マナは耕一の足に手を伸ばすと、スネ毛を一本引っつかみ、ピッと抜いた。
「いてっ!」
「ああやって名前読み上げる時、自分の知り合いがいないとつい……気をつけてても、不謹慎だなって思ってもついホッとしちゃうのよね。
 そういうのってやっぱりなんだかなーって思うわけ。自分がヤになって仕方ないわ」
 言いながら、スネ毛をプツッ、プツッと抜いていく。
 かなり痛かったが、耕一はマナを制止することができなかった。うめき声をこらえて、一言呟く。
「っ……そうは言っても……なぁ」
「わかってるわよ、ただちょっと愚痴ってみたかっただけ。ごめんなさいね」
 深刻になりかけた耕一をフォローするように、しかしスネ毛を抜く手は休めずにマナは言った。
 しばらく、部屋の中では外の嵐の音、そして時折もれ出る耕一の声しか聞こえなかった。
「でもまぁ、実際仕方ないとは思うんだけどな」
 ややあって、耕一が口を開いた。照れ隠しか、目はあらぬ方向を見ている。
「そんだけ身体がちっちゃいんだ、そんな全部しょい込んだら潰れっちまう。自分の心配できる分だけ心配すればいいんじゃないかな。
 誰かのことは誰かが考えてくれるさ。少なくとも俺はそれでいいと思うんだ」
「…………」
 ちっちゃい、と言ったことでまた蹴られるかなと思ったが、それはなかった。代わりに、スネ毛を引っこ抜く手が止まっていた。
 マナは顔を上げて耕一の顔を見ると、ふっ、とバカにしたように微笑んだ。

「……ふふっ。私もあなたくらい単純だったらなー」
「ちぇっ。大きなお世話だ」
「あなたくらい身体が大きいと、さぞかしたくさん背負い込んじゃえるんでしょうね。
 これまでのところ、チビで困ったことは特にないけど……ちょっと羨ましいわ」
「ま、デカいのだけが取り得みたいなもんだからな」
「まったくよ」
 二人は顔を見合わせて笑った。
 ――目も眩むような稲光とともに、天を揺るがすような雷鳴がすぐ近くで爆発するように轟いたのはその時だった。
『キャーーーーーーーーーーーーーーッ!』
 絹を裂くような悲鳴が唱和する。マナと初音だ。
「大丈夫だよ初音ちゃん、落ち着いて……と」
 耕一は自分の足にギュッとしがみついている少女を見てニヤリと笑った。
「ふぅーん、マナちゃんは雷が怖いんだ、そっかー」
「なっ……! こっ、怖くなんかないわよ! ただちょっと、そう、驚いただけよ!」
 自分が何にしがみついているのかに気づき、マナはガバッと飛びすさるように離れた。
「そっかー。へぇー。へぇー」
「この男っ……! 半病人はおとなしく寝てなさいよっ!」
「いやぁ、デカいのとついでに丈夫なのも取り得ですから」
「ム、ムカつくわ……」
 背中越しに聞こえる賑やかなやり取りに、静かに雨に煙る景色を見つめていた初音はこっそりと微笑んだ。



 雷はマナたちのいる家のすぐ側の木に直撃していた。
 だから、その凄まじい雷鳴にかき消された『その音』を聞いた人間はその場にはいなかった。

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