embryo


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長瀬源三郎のいた、医務室。
私が殺した、狂った怪物。
今は、私たちがそこにいた。
人ならぬナニカとともに。

「おじさん、血だらけだよう。千鶴さん、早く、早く、助けてあげてよう。」

人間としての御堂は、すでに息絶えていると言っていい。
私が、そしてあゆちゃんがここに来たのは、御堂の中に居る「熱」。
その「ナニカ」がもしかしたら、御堂を助けるための何かだったら。
もうこれ以上、あゆちゃんを苦しめずに住むのなら。助けてあげたかった。
例え助からなかったとしても、納得させてあげたかったから。
自分たちは、最善を尽くしたと。
たぶん、偽善。

その、「何か」…少なくとも、すがる希望はあるのだ ---それが一体何であろうと。
人を救う過程で、あゆの、「ひとを殺した」意識が少しでも和らげば。
私たちは、人を救おうと、こんなにもがんばっているんだ。
偽善。

御堂の体は、確実に冷たくなってきていた。
ふたりで、少ない知識で、あり合わせの道具で、薬を塗り、包帯を巻き、失血を止めてやる。
何のために?
もう、流れるべき血など、わずかも残っていないのに。

「おじさん、どんどん冷たくなっていくよう…おじさん、助からないの?」
「あゆちゃん、…正直、御堂さんは、もう助からないかもしれない。でも、今はとにかく最善を尽くしましょう。
お別れを言うのは、もっと後でもいいはずよ」

おわかれ、という言葉にあゆは反応した。
包帯を巻いているあゆにも解ったことだろう。一時は平熱以上の熱を持っていた御堂の体温が、
確実に、屍体の「それ」に近づいていることを。

輸血。
造血剤。
解る範囲で、あらゆる手を打った。
しかし。

御堂の体は、ふたたびあの「熱」を帯びることはなかった。

もう、やめよう。
御堂にお別れを言い、私たちはここを立ち去るべきだ。
あゆはそれを納得できるだろうか?

「おじさん、頑張っ、て、ボクと、一緒に、戻ろう、よ。」
「おじさん、頑張って、ボクが、今度はボクが、助けて、あげる、から。」
あゆは、御堂の体の、幸い傷のなかった胸を、懸命にあたため、こすっていた。
懸命に。
あの熱が戻れば、御堂が生き返ることができると。信じて。
信じようとして。

あゆは涙をぼろぼろ流して、
ひたすら息を切らせて。
それは、自分の命を、分け与えているようにすら見えた。

「あゆちゃん、もういいわ。私たちは、出来るだけのことをやったわ。
おじさんにお別れを言って、梓たちのところへ戻ろう。ね。」

正直、梓たちの無事が気になる。詠美も繭も、それなりのショックを受けている筈だ。
特に繭。あの聡明だった娘が、壊れたように喚き叫んでいた。
一体何があったのか。御堂を優先して梓に任せてきたものの、いくらなんでも長居しすぎた気がする。

「いやだよ!千鶴さん、まだまだ足りないよ!今までボクはおじさんたちに助けられてばっかりだったから、
今度はボクがおじさんを助けてあげなくちゃいけないんだよ!
おじさんを助けて、おうちに戻って、商店街も案内してあげたいし、ボクの学校も見せたいのに。
もっともっと、おじさんと話したいことがあったのに。生き残れてよかったねって、
ボクの知ってる人たちはみんな死んじゃったけど、それでも、おじさんや、千鶴さんや、
他のみんなと、よかったねって、もう誰も死ぬのはいやなんだよっ!」

あゆはくしゃくしゃな顔をもっとぐしゃぐしゃにして、流れている涙はぬぐうのに追いつかなかった。
あゆちゃん…
あゆの涙が、かつて熱を持っていた御堂の体に、ぼたぼたと落ちていた。

その時。
あゆの落した涙が、光った。
光ったように、私には見えただけかもしれない。たぶんそれが現実。
あゆの落した涙を受けた部分が、あかく光った。
それは、あのモノが発した熱と同じ。
なんて、風景。

奇跡。
まるで、…天使。

「ガキが、あんまり、世話をやかすんじゃねえぞ…」
「おじさん、やっと会えた…」

私はその時、知らず涙を流していた。
あるはずのない幻聴に。
その奇跡に。

「おじさん、助かるんだよね。また一緒にいられるんだよね。」
「バカ、無理言うんじゃねえ。俺ぁもう駄目だ。
全くらしくねえ。この島を出たら、俺は蝉丸を殺すか、俺が殺されるか、そのはずだった。
それがガキを助けるために死んで、今またチビガキに呼び戻されるなんてよ。
まったく、らしくねえぜ…」
「おじさん、もう、駄目、なの?」
「ああ。こうやってまたおめぇと話せるなんざ、…奇跡…みてえなもんだ。
仙命樹の力ももう及ばねえ。最後の悪あがきってもんさ…まったくこの俺が、ガキによ…」
「おじさん…」
「いいか、あゆ。おめえは生き残れ。詠美も、そこの千鶴も、赤毛も、なんとしてもだ。俺にはもうなんの力もねえが、
少なくともおめえらは今の今まで生き残れた。生き残れるさ。そしてなにもかも忘れて達者で暮らせ。」

「おじさん…今までありがとう。ボク、おじさんのこと、絶対、忘れない。」

「さよならだ。…あゆ、もしかしたら、お前は、俺の…」

消失。

何、今の…
まるで…奇跡。

自分の涙に気づき、私は慌てて、それを拭う。

「あゆちゃん、今の…」
「千鶴さん、お待たせしてごめんなさい。ボク、もう行くよ。
おじさんには、ちゃんと、さよなら言えたから。」

奇跡。
幻聴。
もうどうでもいい。
御堂は、安らかに旅立てたのだ。
あゆも、立派に、それを見送ることができた。
それだけだ。

ふと、気づいた。
もの言わぬ御堂の体の上、あゆが奇跡の涙を流したところに。
一粒の、小さな種。
いや、胚とでも言うべきモノ。
あゆちゃんはそれを、大事そうに両手で抱いた。

(おじさん…ボク、おじさんのきもち、受け取ったよ。
帰ったら、皆に自慢するんだ。
この何日か。ボクの近くには優しいおじさんがいて。
顔はこわくて、そっけなかったけど。
ボクを守ってくれていた。
もう逢えないけれど、ボクはおじさんの気持ちを受け取ったから。
それじゃ。さよなら…おじさん。)

【千鶴、あゆ。御堂に別れを告げ、再び最深部へ】
【あゆ 種(?)入手】

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