破損


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目を覚ますと、草の匂いがした。冷たい土の感触。身体が重い。
身体を揺らす。ぐちゃり、と嫌な感触。服が濡れている。今の格好を考えるのは止そう。
ともあれ、観鈴は目を覚ました。空に広がる、灰色の雲。雷鳴が聞こえてきた。
「起きたのね」
と、そんな声。
驚いて、振り向く。包帯だらけの女の人。天沢郁未だ。観鈴の横に座り込んでいる。
目は虚ろ。死んだ魚のような目が、ふと、観鈴を見て、そしてまた前を見る。前には何も無い。
「んと……」
何を言うべきか。声を掛けづらい。話し掛けて、反応するだろうか?
恐らくはしないだろう。何となく、そんな気がした。全身から漂わせる雰囲気。それは拒絶とも取れる。
とは言え、何もしないわけにもいくまい。
「う、うぃっす」
とりあえず挨拶。しかし、無反応。失敗。
いや、反応した。観鈴を見た。そのまま、前を見る事は無い。綺麗な顔だった。
しかし。
その目は、観鈴を見ていない。反射的に振り向いたようなもの、か。暗い。光を灯さない目。
それでも、観鈴は続けた。見ていないからこそ、彼女は続けた。
「びしょびしょ、だね」
「―――」
「こんな所にいたら、風邪引かない?」
「―――」
懸命に語りかける。それでも、彼女は返さない。
続けた。
「あそこの木陰に行こ?ここにいると、寒いよ」
「ねぇ、ここにいると危ないよ。誰がいるか分からないし」
「恐い人が来ちゃうよ。あの、男の人とか――」

そこで、言葉が止まる。

郁未が、観鈴を"見ていた"。光の消えた瞳に、再び、光が戻る。
だが、それは。何かが違った。普通ではない、何か。思わず、身震いする。
にやり、と笑った。おぞましい笑み。そうだ。あれは、狂気の光。
「あの男」。それが、彼女の"スイッチ"を入れたのか?
「望むところよ」
雷光が、彼女を照らした。


郁美が、ゆらりと立ち上がる。
少女の言葉に、頭が醒めた。そうだ。ここで呆けている場合ではない。
「奴」を追うのだ。自分の元を去った、あいつを。あの人を。
助けねばならない。もし、出来ぬのなら、殺す。そう決めた。そう、約束した。
首を巡らせば、いくつか荷物が落ちているのが見えた。鞄が三つ。アサルトライフル。ショットガン。
とりあえず、鞄を手に取った。誰の荷物だかは分からない。だが、背負えるのは一つだけだ。これでいい。
少年が行った方へ、歩き出す。足が痛い。それでも、歩く。痛い。
「ま、待って――」
声。引き留める声。無視して、歩く。痛い。
「待って。その怪我じゃ危ないよ!」
うるさい。勝手だ。
「ねぇ、落ち着いて――一人じゃ危ないよ?」
掛ける音。ぐしゃぐしゃと、水を踏む音。
腕を掴まれる。振り向けば、神尾美鈴がすぐ後ろにいた。怯えたような顔。それでも、使命感を帯びた顔。
にぱ、と笑う。苦笑じみた笑み。白々しく見えた。
「一緒に行こ。ね?」
「―――」
「わたし、足手まといだったけど――でも、きっと、役に立つから」
「―――」
そう言って、最後に、もう一度だけ笑った。今度は、寂しげな笑顔だった。

ふと、よく分からない感覚がした。ぞわり、と。何かが蠢くような。
右腕が伸びる。掴む。首を。ぐっ、という呻き声。観鈴のものだ。愕然とした顔。
「――うるさいわね」
意図せず、そんな声が出た。一瞬、誰の声かと疑った。紛れもない、自分の声なのに。
持ち上げる。少女は、軽かった。何となく、自分が笑っているのを感じる。感じる?
少女が、右腕を掴んでいた。抵抗のような、そうでないような。随分と非力だ。
そんな事に、笑っているのか?狂ってる……!
「随分とへちょい考えなのね。一緒に?そんな事言って、私が貴女を殺さない保証があるの?」
どくん、どくん、どくん、どくん――
熱い。全身が昂揚している。血が巡る。不可視の力。それが、私を、狂わせている?
冷静な心。狂った心。冷静な自分が、狂った自分を見ている。不可思議な感覚。もう一人の、自分。
右腕を振るう。放り投げる。背中から少女は落ちた。叩き付けられた。
「笑わせないで」
抑揚の無い声で、そう言った。踵を返すと、森の中へ足を進めていく。
心なしか、痛みが引いている気がした。
いや、違うか。痛みを認識しなくなっているのだ。どうも完全に狂ってきているらしい。
狂っているのが分かっているのに、どうでもいい気がした。目の前の光景を、ガラス越しに見るような感覚。
全てが歪みつつあった。少年を。「奴」を切っ掛けに。そんなに脆かったのか。私は。
彼女の顔も、歪んでいた。ぎらぎらと、狂気を宿した目。裂けたように開かれた口。
それは、まるで、鬼女の様。
"――脆いものよの。"
そんな声が、聞こえた、気がした。

少女が、まだ叫んでいる。名前を。イクミサン、と。
聞かない。聞く必要などなかったから。

それでも、彼女は言っていた。叫んでいた。
戻ってきて、と。



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