碁石


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HMの無機質な声を聞いて、ぱちりと目を開ける。
人は起きた瞬間から、はじめて自分が寝ていたことを理解できる。
そう、私は、まさに寝てしまっていた…ようだ。
楓ほどではないけれど、血圧が高くないせいか、起きがけは少々頭の回転が鈍る。
しょぼつく眼をしばたいて、コンピューターにに囲まれた円形の一室を見回してみた。

 すぐに違和感を覚える。
 -----人の気配が、しない。
 あの口うるさい梓や、負けないくらい騒がしい詠美ちゃん、ときおり奇声をあげるあゆちゃん、
 負けないくらい奇声をあげる繭ちゃん、その誰の声もしなかった。
 それは奇跡と言ってもいい。
 -----静かだった。
 すべての機械が有している、冷却機の運転音だけが不快なコーラスを奏でている。

おかしい。
全員がここに揃っていたはずなのに、私を置いてどこへ行ってしまったというのか。
鈍った思考では付いて行けないほどの急展開に、焦りを感じて頭を振る。

立ち上がり、深呼吸を一回した時。
端末の画面に向き合うように座ったまま、だらりと手を垂らして伏している誰かが見えた。
(-----詠美ちゃん?!)
駆け寄り、姿を確認すると、やはり彼女だった。
あとは探すまでもなく、他の面々が視界に入ってくる。

 詠美ちゃんの使用する端末の、座席にもたれかかるよう倒れている梓。
 そのまた後から、折り重なって倒れた繭ちゃん。加えて烏。さらに猫。
 少し離れて、あゆちゃん。
 辺りには、黒い何かが散らばっている。
 -----碁石?
 銀色のトレイがひっくり返っており、そこを中心に黒い固まりが拡散していた。

一つ拾ってみる。
匂いをかぐと、炭のような臭いに混じってアーモンドのこおばしさが、かすかに感じられる。
この碁石状の何かは、食べ物のようだ。
直径2センチ程度の、円盤状の何かを齧ってみる。

「ち…千鶴姉っ!それを食べたら駄目だっ!」
ごっくん。
苦しげな梓の声を聞くと同時に。
わたしは、碁石を飲み込んでしまっていた。



 …怒っている。
 あれは、かなり怒っている。
 わずかだが、千鶴姉の白い額に青く血管が浮いてるのが見て取れた。
 これは間違いなく、危険な兆候だ。

あたしたちは、この椅子だらけの部屋で、なぜか冷たい床の上に正座をして、小さくなっていた。
正確に言うと、繭と動物は倒れたまんまだけど。
「…つまり、こういうことなのね?」
千鶴姉が、勤めて怒りを抑えながら状況を確認しはじめる。


 『じゃーん!クッキーだよっ!』
 4枚あるはずのCDのうち2枚は手元にあったので、解析はそこから始めた。
 ほぼ可能な限りの調査が終わったと考えた頃、あゆがクッキーと主張する何かを持ってきていた。
 『…なんだこれ』
 『……碁石?』
 詠美と二人で呆れ果てる。

 『うぐぅ、ひどいよっ!ちゃんと甘いしアーモンドも入ってるんだよっ!』
 確かに、そのような臭いがするような気もしないでもない。
 …だが本質的に、これは炭と分類するべきだ。

 『碁石と言うより、炭だな』
 『碁石でいいのよ、だってコレ、かたいわよ』
 驚くべき事に、詠美は文句を言いつつ齧ってみていた。

 ふと視線をずらすと、あゆが涙目になっている。
 (あちゃ…。
  あたし、こういうのに弱いんだよなー…)
 動揺に泳がせた視線が詠美と合う。
 二人で決意と観念の頷きを交わす。
 (ああ、そうだ。
  詠美だけを、彼岸の地に逝かせるわけにはいかない!)
 覚悟を決めて、あたしも齧る。
 『ぅわっ…硬っ!』
 たいやきより先に、あゆには教えてやるべきことが山積みだな、と考えながら。
 あたしは炭を飲み込む事に成功した。


…あとは見ての通りだ。
どういうことか、全員が意識消失してしまっていた。
文字通り、彼岸の地に逝くとこだったよ。
(結局、みんな食ったのか…)
自分も含めて一人残らずお人よしとは、恐ろしくもおめでたい一団すぎて涙が出るね。

千鶴姉の説教のもと、真実は解き明かされた。
原因はやはりクッキー(注:作者自称)。
生地の切り分けに使った刃物に、何かが塗られていたようだ。

(ねえ、梓)
千鶴姉に説教されながら、詠美が肘でつついてくる。
(一つだけ聞きたいんだけど)
(なんだい?)
(どうして、さっき食べたはずの千鶴さんは…倒れないのよ?)

そう言えば。
いまや絶好調の演説をかます千鶴姉に、昏倒の気配はちらりとも見えない。
…地獄の釜か、鉄の胃か。
きっと、千鶴姉に謎な料理は効果がないのだ。
(なあ、詠美)
(…その悟ったような表情はなによ)
(蛇や河豚が、自分の毒で死ぬか?)
(…うぐぅ、あゆ、河豚じゃないよっ)
((そういう問題じゃないっ!))


思い起こすと、いつだか怪しいキノコを食ったときも、効果がなかった。
裏の裏は表だから、効果がないように見えただけだと、その時は思っていた。
(懐かしいなー、セイカクハンテンダケだっけ?
 あの時は、初音が豹変しちゃって大変だったよなあ)

(豹変…?)
その単語にちょっとした引っ掛かりを感じ、伏せていた顔を上げる。
千鶴姉の後ろで、まだ倒れている動物と…繭が見える。

何かがカチリと音を立て、ぴたりと一枚の絵が出来上がったような気がした。
思わず立ち上がり、叫ぶ。
「千鶴姉!セイカクハンテンダケだ!」
「お座りなさい梓!」
「はいー…」

繭、あんたの豹変の原因が、わかった気がする。
とりあえず、千鶴姉の説教が終わるまで、おあずけのようだけど。


(あのー…梓さーん)
ぽややんが遠くから小声で呼んでいる。
(CD二枚分の解析、だいたい終わりましたけどー…)
ああ、悪かったね。
あたしたちが寝ちまったから、結局あんた一人でやってたんだね。

でも、だめだ。
あんたの結果発表も、千鶴姉の説教が終わるまで、おあずけだよ。



【柏木千鶴 説教中】
【CD3/4、4/4解析終了 無記名はまだ】
【繭&ぴろ&そら 昏倒中】

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