ふたつの奇跡


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かくして、わたし達は反転しているであろう芹香さんと交渉し、セイカクハンテンダケを入手すべく
出発の準備をしていた。
残留するメンバーに指示を与え、食料や飲料水の分配を行うだけでも、それなりの時間を要した。
行儀よく座る繭ちゃんと2人で食料を整理するわたしの背後で、残る3人の激しく言い争う声が
聞こえてくる。

「な…なんでよっ!
 このくぃーんをカンヅメにして、かつやくさせないなんて、どういうつもりよっ!」
「うぐぅ、ボクも一緒に行きたいよっ!」
「くぃーんとか、うぐぅとかって…
 お前ら普通に日本語話してくれよ…」
激しく常軌を逸した口論に、梓が珍しく言葉を詰まらせていた。

小さくためいきをついて、わたしは立ち上がる。
助け舟を出さなければならない、いや事実を確認しなければならない段階に来ただろうか。
むやみに心配させるようなことはしたくないが、情況を正しく理解しないことには、生き残ることも
かなわないのだから。
「…ちょっといい?」
「ふみゅ?」
「こんなことは言いたくないのだけど…わたし達は御堂さんほど、強くはないわ。
 だから、今の繭ちゃんを連れて歩いた場合、生き残る自信はないのよ」
「そ、そんなこと…わかってる…わよ」
「うぐぅ」
強弱はともかく、御堂さんでも今の繭ちゃんを連れて歩けるかどうかは疑わしい。
幸運にすがるのでもなければ、試してみる気もしなかった。



-----結局のところ、キノコ捜索隊に割けるメンバーは、梓とわたししかいない。
どちらか片方が残ることも考えたが、戦うつもりならば戦力を分けるのは愚かなことだし、逃げる
つもりならば残る必要はない。
今までどおり、あゆちゃんを連れて行くことや、詠美ちゃんを連れて行く選択もある。
その場合、残る繭ちゃんの監視役がいなくなるし、侵入者への対処に不安が残る。

詠美ちゃんならば、ここで何かあっても、最初から逃げるつもりならどうとでもなる。
モニターによる監視と、独特の構造を利用すれば、初めて侵入する相手ぐらいは問題なく回避できる。
そんなわけで詠美ちゃんにはCD解析の続行と管理を任せ、あゆちゃんに繭ちゃん(と動物たち)の
面倒を任せることにした。

「…だから留守の間、よろしくお願いね?」
「ふみゅーん」
「うぐぅ…(ってボクの台詞こればっかりだよっ!?)」


「じゃ、雨が小降りになるのを待って出発するから。
 詠美、あゆに繭、あと頼むよ」
一転して気楽そうに鞄の中身を整理する梓と、頭を抱える詠美ちゃんが対照的だ。
残るあゆちゃんは、ひとり静かにどこかを見ていた。
この情況での心理的閉塞感は、近いものがあるのかもしれない。

同情を覚えながらも、振り返り繭ちゃんに声をかける。
「繭ちゃん」
彼女は相変わらず動物たちを従えて、手には丸い機械を持っている。
「あゆちゃんの言うことをよく聞いて、動物さんたちの面倒を見てあげてね」
「みゅー、これ、あげる」
晴れやかに笑いながら、その機械を手渡してくれる。
先ほどから気になっていたので、チラチラ見ていたのに気が付いていたのかもしれない。


「…いいの?」
こくん、と繭ちゃんが頷く。なぜか確信めいた行動だった気がする。
この機械を持っていく意味はあるのだろうか?
そう思いながらも、彼女の瞳に気圧されて、わたしは機械を受け取った。
あとで調べればいい、と考えながら。


期待に反して、全ての用意が整った頃には、雨足はより強くなってしまった。
洋上に浮かぶこの島を滅ぼそうとしているかのように、雷が高木を選び焼き尽くしてゆく。
あまりの天候変化に呆れながら、待ち時間をデータベースの閲覧に費やすことにする。

偶然開いたデータの×印が目に入る。
死亡を示す、その不吉な記号が、件の機械の持ち主に重なっていた。
そうだ、この機械は彼女が持って…いた。
「秋……子さん」
思わず呟いたが、他の皆に聞こえないように語尾を濁す。
彼女の死亡地点、教会では多数の参加者が戦闘しており、現在の生き残りはほとんどいない。
なんの偶然か、その中に繭ちゃんも入っている。
可能性として、反転した彼女ならば、あの秋子さんを打倒する勇気があったかもしれない。

 わたしは、秋子さんと並んで歩いてきたはずだ。
 その距離は遠く、決して交わることはなかった。
 しかし、目指す方向は同じだったのだ。



視線を天井に泳がし、しばし呆然としていたが、そこで同様に天井を眺めている人影を見つける。
(…あゆちゃん?)
そう言えば雨足が強くなった頃から、何か遠くを見るような目をしている。
声をかけようと立ち上がり、彼女の方へ歩く。

「……千鶴さん?」
振り向きもせず、視線を動かさないまま、あゆちゃんが先手を取って言い当てる。
わたしだけでなく、にわかに鋭い挙動を示した彼女に、全員の注目が集まる。
「…もうすぐ、晴れるよ」
あゆちゃんを除く全員が、思わず顔を見合わせる。
外部モニターに移る光景は、いまだに雷雨であり、暗く、とても晴れるだろうとは思えない。
「ここを出たら、あっちに行かないと…間に合わない、よ」
振り向いて、指し示した方向には、確かに芹香さんがいる方角だ。
先ほど調べた画像の時点で集合していた参加者たちは、今や二人組でばらけていた。
「芹香さんを探すのだから、そうなるわね」
「ううん、もっと、先の方だよ…」

 まるで、その”もっと先”を見据えるかのように。
 彼女は西の方角を見つめていた。

「あ…あゆちゃん…?」
様子のおかしい彼女に、その言動を問いただそうと発声した瞬間。
まぶしい光が、サーチライトのように外部モニターから投げかけられていた。

「ななななに!?」
「みゅー!」
「攻撃されたの!?」
「いえっ!熱エネルギー反応では、ないみたいですうー!」
「じゃあ、なんだってんだ!?」

 光が弾けた一瞬の間を境にして。
 稲妻は陽光に変わり、地を流れる水音を残して雨雲は消え去っていた。
 果てしなく青い、嘘のように垢抜けた空が、画面一杯に広がっている。

 それが何かと問われれば。
 ひとつの奇跡だと、答えるしかない。

「千鶴さん」
「あゆちゃん、どうして…?」
何から聞けばいいのか、解らない。

言いよどむ私に、あゆちゃんは静かな一言。
「お願いだよ、ボクも連れていって。
 急がないと、間に合わないんだよ-----」


 あの光が、ひとつの奇跡とするならば。
 それを感知した、彼女の言動も。

 間違いなく、もうひとつの奇跡だった。

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