義勇。


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――少し離れたところで、神尾晴子はそれを見ていた。

――耕一の「森の中に誰かがいるかも知れない」という感覚は正しく、
事実神尾晴子は、そこで準備をしていたのだった。
いくつかの重火器の調整。
いざという時に武器がうまく動かなかったら、それだけで自分の死は確定する。
晴子は溜息を吐く。
それでも、構わないとは思っていた。
どうせ最後には観鈴のところに行くつもりなのだから。
だが、それがある種の心残りを生むであろう予感も感じていた。
「死なばもろとも、やしな」
冷めた目で、遠くを見つめながら晴子は呟く。
殺して殺して、殺しまくってやる。
重い鉄の感触が、少しずつ、理性を奪っていくような感覚。

そんな中、落ち葉を踏む音、そして、男の声が聞こえてきたのである。

晴子は思わず木陰に身を隠す。
ニードルガンを握り締めるも、そこで心臓の音が身を支配する。
自分には武器がたくさんある、負ける可能性は低い。
たとえ負けたとしても、自分には何もないし、観鈴の元に行くことが出来るのだ。
何を恐れることがあるのだろう、そう思うのに心臓の音は晴子の身体の自由を奪うかのように、鳴り続ける。
なんとか武器をがちゃがちゃと鞄の中にしまうと、足跡を殺して晴子は後ずさりをする。

「俺たちは戦うつもりはないんだ――」
そう、聞こえた。
「脱出できる可能性があるんだ――」

その声を、もう少し早く、観鈴と共に聞くことが出来たなら、どれほど幸せな事だっただろうか?

その声が本当であれ嘘であれ、二人で一緒にいることが出来たなら。
きっと疑うことなく自分たちは飛び出して、彼らと共に行動をしただろう。
だが、帰りたいとか生き残りたいとか、自分にはもう、そういう感情がまるでないのだから。

その時、自分の行動理念に不可思議な事を覚えた。
生き残りたい、殺し合いなんてするつもりはない。そう言う彼らの姿を見て――。
ふと思う、なぜ自分は人殺しをしようと思っているのか、ということ。

観鈴を失った。このくそゲームで、何より大切なものを失った。
だから、他の参加者を殺す?
はじめから乗っておいて、観鈴を害するものをすべて殺せばよかった、と、
そう思ったから、自分は今から人殺しをしようとするのか?
(うちは、アホやないか)
彼らはここから脱出したいのだろう。なんとかして、日常へ続く細いか弱い橋を、渡りたいのだろう。
ならば、今自分が彼らを殺すことに、何の意義があったのだろうか?
自分に日常がなくなったのなら、
(八つ当たりなんかせんで、さっさと自殺なりすればよかったんやな)
失った娘の元に、友達を送ってあげよう。
娘を失った瞬間、自分はそんな事を考えた。
だが、馬鹿げている。
そんなくだらない事をする前に、自分が逝ってやれば良かった訳だ。

今、ここを飛び出して彼らの仲間に入れてもらおう、などと、そんなつもりはなかった。
自分はもう死ぬつもりだったし、観鈴のいない世界、寂しい世界に生きていきたくはなかった。
彼らと知り合うことは、自分にとっても、彼らにとっても無益だろう。
晴子は少し笑って、木陰で息を吐く。
(あんたらは、がんばって生き残るんやで)

――だが、どうせすぐ死ぬつもりの自分が、なぜ今これほどに、怯えているんだろう?
――なぜ、心臓の音が止まらない。なぜ、汗が止まらない。
吹き出る汗を拭いながら、晴子はその緊張の正体が何であるのかを未だに悟れぬまま、声の先を凝視した。

二人。一人は自分を片腕だけでねじ伏せられるような体格の男で、右手には拳銃を携えている。
そこで、晴子は見た。
もう一人――巨漢の相方に比べて、ずっと貧相な体格をしたその青年が、左腕のナイフを、上下に動かしている姿を。
「なっ――」
思わず声が出る。だが二人が突然争いをはじめた為、その声は聞こえなかったようだ。
その貧相な体格の青年が、その巨漢を、ねじ伏せている。
争う声は聞こえない。
ただ、倒された男の絶叫だけが聞こえる。
その小ぶりのナイフが、何度となく
その、雨上がりの乾いた空気の中で、噴出す血のにおいが、禍禍しい。
「……やめろッ、……彰ッ!」
殴っている青年は、彰というのだろう。
拳を全力で叩きつけ、そして次の瞬間には踵を顔面に振り下ろされる。
晴子思わず眉を顰め、目を逸らす。
一体何が起こっているのだ。彼らは脱出をする為に手を組んでいたのではなかったのか?
一方的に叩きのめされた男を横目に、彰という名の青年は、何かしらを呟いて、走り去っていく。
倒れた男は、それを追いかけようと何とか身体を起こそうとするが、すぐに力尽きて、倒れた。

一部始終を見ていた晴子の心は、何かしらの混乱で満たされていた。
裏切り。
そんな言葉が、晴子の脳裏を過ぎる。
唾をごくりと飲み込む。
(――やっぱり、皆乗ってるんやないか)
きっと彼、彰は。
体よく他人を利用し、そして生き残ろうと考えているのだ。
今まで共に戦ってきただろう仲間を殺してまで。

憎むべきは何なのだろうか、と晴子は考える。
身体が震えているその原因を、晴子は考える。
(決まってるやないか)
――そう。
憎むべきは、主催者だけではない。
自分の弱さを誤魔化す為に、他人を傷つけようとする人間だ。
この島で出会った人間が多くいた。
あさひも、智子も、マルチも、皆、

――やさしかった。

なのに、どうしてこれほどに人は弱い。
自分のことしか考えないで、人を傷つける。だから、無くすものがたくさんあるのに。

身体が震える原因は判らない。
どうして、人の声を聞くだけでこれほどに震えなければならないのだろう。

恐る恐る、その死体に近づいてみる。
めった刺しにされ、血をだらだらと流して倒れている、その青年の傍に。
「あんたも――災難、やったな」
顔を歪め、晴子はその身体に触れようとして――

殆ど聞こえないほどの薄い薄い呼吸。
――生きている。
「あんた…大丈夫か」
声をかけるが、まるで反応がない。
だが、生きていることには間違いがないわけだ。
自分は大切なものを守ろうとした。そして、守れなかった。
そして、今目の前で息を引き取ろうとしている男も、きっと大切なものを守ろうとしているのだろう。
今、この男に引き金を引くのは簡単だ。
このくそゲームに巻き込まれているんだ、殺されたって文句は言えまい。
自分だって大切なものをなくしたんだと、理由はいくらでも付けられるだろう。
だが、――陳腐な言葉で言えば、それを観鈴が望んでいるかといえば、そんな訳がないのだ。
その、理由付けは誰の為にある?

あの子があの世でどう思おうと、自分はあの子の後を追う。
自分はそれほどに、大切なものを失って生きていけるほど、強い人間ではないから。

だが、あの子が願うこと。そして死んだ友達が願っていたこと。
やさしかった彼らのことを。

やさしくあれ。

晴子はその重い青年を背負うと、――先ほどいた、あの喫茶店に向かうことにした。
食べ物もあるし、多分、あそこでならなんとか休めさせられるだろう。
生きる意思がある人を、むざむざ見殺しには出来ない。どうか、やさしくあれ。
「すぐ助けてやるからな」
返事はない。晴子は溜息を吐いて、歩き出した。

そして、ひとつの意思も生まれていた。



【神尾晴子 耕一を背負い再び喫茶店へ。最後の「ひとつの意思」の解釈はお任せ】

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