礼
耕一の背中は、あっという間に小さくなっていった。
「行ったな」
傷だらけで脅えていた耕一の横顔を思い出す。
だが彼も最後には、立ち上がって晴子をまっすぐに見据えていた。
「あの調子なら大丈夫やろ。きっと」
晴子は踵を返すと、喫茶店の中に入っていった。一つ、確認したい事があったのだ。
喫茶店の最奥の部屋。
先ほど耕一の手当てをするために薬を探し回ったとき、そこで"それ"を見つけた。
そのときは怪我の手当てを優先するため、後回しにしたのだが。
部屋に足を踏み入れる。
そこには、一人の少年の亡骸が安置されていた。
晴子は躊躇うことなくその横にまで歩み寄ると、かがんで亡骸の顔に掛かっていた布切れを取り除く。
「やっぱり、あんただったか」
氷上シュン。
出会うなり逃げていった観鈴を、優しく諭してくれた少年。
彼が居なければ、観鈴に再び会うことも出来なかったに違いない。
晴子はどっかと腰をおろすと、横に一升瓶を置いた。
「あんたには本当に感謝してる。……放送聞いたときは悔しかったわ。最後まで礼のひとつも言えんかった」
持ってきたコップに酒を注ぎ、亡骸の横に置く。
「それで愚痴を聞かされるのは、割に合わんと思うかもしれんけど……ちと付き合ってや」
彼と出合った時のことを、彼の言葉を思い出す。
――そうすれば全てがうまくいくはずです――
「あんたの言うほどには上手くいかんかった。観鈴は、観鈴は……居なくなってしもた」
――それがあなたのせいだとでも?――
誰かの言葉が聞こえたような気がした。はっ、と晴子は頭を上げ、彼をみる。
しかし、そこには穏やかな死に顔の亡骸が一体、あるだけだ。
「酔ったんかな……この程度で酔うなんて、うちも相当弱ってるんやな」
ははっ、と自嘲気味に笑って、手元の一升瓶に視線を戻す。
「うちは観鈴を守りたかった。でも、どうしたらいいか解らなかったんや」
――そんなことはだれにだって解りません。でもあの子は、あなたと共にいることで随分救われていたはずです――
また声が聞こえたような気がした。しかし、もう晴子は気にしなかった。
酔って聞こえた幻聴が、愚痴に付き合ってくれるのならありがたいというものだ。
「そうかな。そうだとええんやけどな」
そう呟いて一升瓶をあおる。
――あなたはこれからどうするつもりですか――
「……はじめは、残ってる奴みんな殺して観鈴のとこに送ったろか、思たんやけどな」
――やめたんですか?――
「そんなこと、観鈴が望むわけない。向こうにいってあの子に嫌われたくないしな。
それで、次は自殺しよかと思たんやけど」
――それもやめたんですか?――
「耕一君見つけて、色々やってるうちにすっかり忘れとったわ。……まあ、死んで観鈴と同じ所にいけるならええんやけど。
自殺すると地獄に落ちるとかいうしなー。それが一番心配や」
晴子は苦笑する。
――生きていくつもりは、ないんですか――
「生きていく、か。どうやろな。観鈴はうちの全てやった。
あの子を失って生きる意味も――ああ。脱出したい連中がたくさんいるんやったら、手伝ったるのもいいかもしれんな。
観鈴もきっと喜ぶし、死んでも神さんが天国へ行かせてくれるかもしれへん」
苦笑いのまま、晴子はそう続ける。
「さっきの耕一君は――」
そのとき。突然スピーカーがガリガリと音をがなりたて、やがて呼びかけが始まった。
「……」
放送は、脱出への誘いだった。
今となっては殺しあおうとする者も大分少なくなっているという事だろうか。
だが、それはいい。それは今の晴子にとって些細な問題に過ぎない。
あの少年。
観鈴が死んだ、いや死んだと思っていたあの爆発。
それに巻き込まれたはずのあの黒い少年が、生きている。ならば。
「観鈴……!」
生きているかもしれない。いや、きっと生きている。
観鈴が、生きているのだ……!
「今度は間違えんで。観鈴……一緒に、こんな馬鹿げた島からはオサラバするんや!」
晴子は慌しく立ちあがると、急いで部屋から出ようとして――ふと気付いたように立ち止まり、振り返る。
視線の先には、シュンの亡骸。
「……おおきに、な」
そして、部屋を出た。
【神尾晴子 包丁・シグ・ザウエルショート9mm・伸縮式特殊警棒】
【一升瓶は氷上シュンの亡骸の横へ放置】