女、二人


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「……来ちゃったんだ」

ぼそりと呟く。
全身から覇気が失われ、一見すれば過度に疲弊したように思えるその風体。
だが見るものが見ればそれは――。

「う……うん」

白くけぶる視界に翻弄されつつも、ようやく観鈴の瞳は郁未の姿を捉えた。

「え…………」

驚き、ではなく戸惑い。
混濁した彼女の瞳は、未だ観鈴の見たことのないものだったから。

「言うこと聞かない子なんだから……」

郁未の口から吐き出されたのは、観鈴の行動をたしなめるセリフ。
だがその口調に厳しさはない。
むしろ――緩い。

「いくみ……さん」

定石を欠いた、返事になっていない返事。
だが今の観鈴には彼女の名前を呼ぶことくらいしか思いつかなかった。

「わたしを助けに来てくれたの? それとも――」

それでも自分の気持ちを――混雑し翻弄され、もうずいぶんと儚げに感じられていても――伝えようとして、
観鈴は郁未のことを一心に見つめていた。
――そして気付いた。
彼女の目は、自分を見ていないと言うことに。

「止めに来たの? 私を?」

チャキッ。

小気味いい音を立てて拳銃が構えられる。
それに呼応したように……煙が晴れる。

荒い息。
どす黒く滲んだ紅。
すすに黒く汚れた衣服。

「――往人さん!?」

彼女が見ていたものは、
そして彼女が銃を向けているのは他でもない。

往人だった。


もういいかな……。
既にそんなことを思い始めていた。
”私”の中に渦巻いていたいろいろな感情、
それら全てがまるでもともとそうであったかのように色褪せて、
”私”の中で希薄になってゆく。
意識してそれらを区別しなきゃならないほどに、曖昧になってゆく。
穏やかに融けていく。
なんだろう……。
少し早いのかな?
本来、”私”がこうなってしまうには。

――穏やかな侵食は”壁”を突き崩し、
少年との邂逅をきっかけに、今まさに郁未を取り込もうとしている。

突然、ではないよね。
うん、分かっていたもの。
いつかはこうなってしまうことは。
ただ少し早いだけ。
茫洋が私をうずめていく。
――私だけの自我、によるものじゃないかも知れないけど。
どうして、こんな気持ちになってしまったんだろう。

瞬間。
少年を救おうとして、発砲。
”私”のほとんどは”彼”というとろけるように甘美な存在の中に在って――。
そしてそれを激しく揺さぶる。
抑揚?
そう、――感情の。
どんどん進行しているのは、恐らくその反動なのね。

その理解を何から齎されたのか――神奈か、少年か、それとも彼女自身か――そんなことを考える必要などないほどに、
滑らかに流れ行く思考。
彼女は、ある一定の方向へ澄み渡っていた。

摘み取られていく痛み。
それがどこへ向かっていくかなど知らない。
今、この瞬間の私を認識できていればそれでいい。

――禊は、誰も予期し得なかったベクトルで為されたのだから。


観鈴は表情をこわばらせたまま絶句している。

死。
眼前に突きつけられ、直視することを求められた――死。
誰のものであったとしても、その事実は心を深くえぐる。
そして今回起こりえるだろうそれは、一際大きな痛みを彼女に残すだろうことは明白だった。
失う悲しみも、奪われる痛みももう十分に知りすぎた……。

「……違うようね。それならばそれでも良かったのに」
「え――」

だが、そこに観鈴を能動的に殺そうとする意図は含めていなかった。
いや、本来なら誰の命であっても奪おうなどとは考えない。
守る。
守るための戦い。
今私の側に倒れている、”彼”を守るため。
それであってこそ、私はこの銃を放つことが出来る。
守ることも殺すことも、全て私が立てた誓い。
私の思いゆえにある、純粋な思い。
なら、私は新たな決意をしよう。
私は――。

「彼を守るためなら、あなただって殺すわ」

――守るために、殺そう。

郁未の瞳に掛かっていた虚ろの影がスッと消える。
光が、再び灯る。
その輝きは――それが偽りのものでないかどうかなど確かめる術はないが――、
かつての侵食される前の郁未のそれと同じように見えた。

「――撃っちゃうわよ。いいの?」
郁未はあっさりとそう言う。

「だって彼を殺さないと私たちが殺されるんだもの」
ならばなぜ――。

「そんなことないよ……。往人さんがそんな人じゃないってことは、郁美さんも知って――」
「現実を見なさいよ。あなたが今目にしているもの、それこそが紛れもない事実、そして真実なのよ」
私は一思いに撃ってしまわない――。

「――でもあなたにも選択肢はある」
「え?」
「その銃で私と彼を殺す。そうすればそっちの彼も生き残れるかもしれない」
「!?」

観鈴は再び顔を強張らせた。
それは奇しくも立場の反転――。
観鈴の立たされた状況は、先ほどまでの郁未のそれと酷似していた。

全ての方向にいい顔など出来るわけがない。
そんな偽善はもう通じない。
何かを守るために何かを傷つけなければならないところまで、事態は進んでいる。
――そんなことは、もうみんな分かっていたはずなのに。

「……撃たないの? じゃあ、そこまでね」

撃鉄が、落ちる。
一瞬の刹那の後、轟音が耳を劈いた。

ダァァァァァンン!

煙は晴れた。
だが建物を包む炎は、次第にその勢いを増していく。
いつ、彼女たちに襲い掛かってもおかしくない程に。

――意識を失い倒れたままの黒い影。
   少年は黙したまま、何も語らない――。

【時間的には前話から数分程度の経過】
【被弾したものがいるかどうかは次の書き手に委任】
【ホール内の煙は大分晴れている】
【炎自体の勢いは増している】

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