母
「撃たないの? じゃあ、そこまでね」
そして、銃声が響いた。
弾丸を受けてよろけたのは、郁未。
撃ったのは――
「観鈴ッ! 伏せときや!」
「お母、さん……?」
――神尾、晴子。
時間は少し遡る。
それは放送を聞いて晴子が喫茶店を発ったあと。
放送とおかしな声に導かれ、辿り着いた先には死体が二つ。
(な……どういうこっちゃ、これは)
手近な建物に隠れ、しばらく様子をうかがった。
そこに現れたのはあの名も無き少年。
その少年が、死体から首を切り取って持ち去るのを見た。
(首? 何をする気なんや、あいつは)
なんにしろ、それが危険なものであることは間違いないだろう。
やはりあの少年は敵だったのだろうか?
観鈴も彼に……殺されたのだろうか?
(いや、まだ解らん。勝手に決め付けて絶望するのはもうええわ。
この目で確かめる。まずはそれからや)
晴子は、唯一の手掛かりである少年を追った。
迷い、見失い、爆音と煙を目印にホールを昇る。
再び少年を見つけたときには二人の男は倒れ伏し、一人の女が立っていた。
「――郁未さん!」
そして、そこに観鈴が現われたのだ。
郁未と観鈴が語りはじめたのを聞いて、とりあえず飛び出すのはやめた。
(観鈴があんなに執着するなんて、いつの間に仲良くなったんやろ)
しかし今は、銃を向け合っている。
殺し合おうとしている。
(観鈴は……小さい頃からひとりぼっちで、ずっと苦しんできた。
友達だって片手の指で数えられるほどしかおらん。なのに、それでも殺し合えっちゅうんか)
やがて、観鈴が残酷な二択をせまられる。
『その銃で私と彼を殺す。そうすればそっちの彼も生き残れるかもしれない』
郁未が、そして観鈴までもが引き金を引こううとするのを見て、たまらず晴子は発砲した。
銃撃をその身に受け、郁未はよろける。
「観鈴ッ! 伏せときや!」
「お母、さん……?」
観鈴のほうは、本当に発砲する気だったのかは解らない。
だが、もし撃つ気だったのなら、友達をその手で撃ったという事実はいつまでも観鈴を苦しめるだろう。
撃たなければ往人が死ぬ。どちらにしても観鈴は苦しむしかない。
(あの子は、なんでも一人で抱え込んでしまうからな……)
郁未は体勢を立て直すと、晴子に向かって散弾を撃ちこんだ。
散弾が晴子の隠れた壁の端を削り飛ばし、その破片で一瞬晴子の視線が遮られる。
その隙に郁未は少年を背負う。
晴子は舌打ちした。煙と破片に紛れ、壁の影からでは郁未を狙う事が出来ない。
(あの子はもう充分苦しんだ。それでもまだ苦しみが避けられないというんやったら、
ウチが観鈴の代わりに苦しんだる。
ウチが観鈴の代わりに手を汚す。
エゴと言われても、過保護と言われても、自己満足と言われてもかまわへん。
それで、観鈴がいつか笑ってくれるのなら――)
「ウチはエゴイストにでもなんにでもなったるわ!」
晴子は物陰から飛び出すと、郁未に3度発砲する。
一発は外れ、残り二発は背負われた少年に命中し――そしてあらぬ方向へ弾かれた。
9mmショートでは偽典に対して力負けしてしまうのだろう。だが、晴子はそんな事を知らない。
郁未は振り向き様にベネリを撃つ。晴子は物陰に転がり込んでなんとか回避する。
やがて、回り始めた煙に紛れて、郁未は後退していく。
そして後を追おうとした晴子を牽制するように、一発、二発と散弾を撃ちこんだ。
晴子がなんとか階段まで辿り着き、下の階を覗くと、ちょうど郁未はこちらに銃を向けているところだった。
手すりが吹き飛び、晴子はそれを避けようと大きくのけぞって後ろに転がる。
もう一度覗いたときには、もう郁未の姿は見えなくなっていた。
(行ったか。……あとは、炎に巻かれる前にここを逃げ出さな)
振り向くと、観鈴がすぐ近くで晴子を見つめていた。
「お母さん……」
「観鈴……無事でよかった……」
晴子は観鈴を抱きしめたかった。だが、今は出来ない。
まだ自分には、郁未を――観鈴の友と呼べる人を撃った、その硝煙の匂いが立ち込めているから。
「なんや言いたいことがあるのはわかる。……文句は後で聞くわ。
とりあえずは、居候をなんとかせんとあかんやろ」
「う、うん……そうだね」
ぱたぱたと往人の元へ駆けていく観鈴を見て、晴子は思う。
この先、観鈴が心から笑える日が来るだろうか?
「……それにはまず、生き残らんとな」
炎はますます盛っている。余裕はあまりない。
晴子は懐から包帯を取り出すと(耕一を手当てした余りだ)、往人のほうへ歩き出した。
ホールを逃げ出した郁未は、少年を背負ったまま街の裏通りを駆けていた。
「盾代わりにして、悪かったわね」
未だ気を失ったままの少年に話しかける。
(こいつを護る)
それが神奈の意志なのか、自分の意志なのか、もうはっきりとは解らない。
だが、浸食される前の自分は。
(こいつのことを大切に思っていた。愛していた。それだけは確か)
ならば、それでいい。
神奈などわたしは知らない。
自分の意志で、こいつを護る。
それでいい。
観鈴、そして耕一……今まで出会った人たちの顔が、浮かんでは消える。
なぜわたしは、観鈴を撃たなかったのだろう。
期待していたのかもしれない。自分を止めてくれる事を。
(……でも次にあったときは、もう殺さなくてはいけない)
それを思うと、まだわずかに胸が痛んだ。
(もう銃で撃たれても痛みを感じないのに、そんなことで痛みを感じるなんて)
それはきっと、まだ自分の心が残っている証なのだろう。
ならば、それでいい。
この痛みもまた、わたしなのだから。
自分の意志でこいつを護っていける。
それは幸せなことなのだから。
気がつけば空は夕焼け。街並みをただ赤く照らしていた。
それは禍々しい血の赤とは違う、どこまでも穏やかな赤だった。
【ホールにはもうかなり炎がまわっている】
【郁未と少年、ホールから離脱】
【往人と観鈴と晴子、合流】