二人の黄昏〜郁未と少年〜
「い…、いく…み……」
その背中で一度、彼は目覚めた。
ゆらゆらと揺れるその景色を、自分を背負い歩くその少女の表情を、瞳に映して。
「生きてた?」
「そうじゃなかったら僕は幽霊だね」
「意外とその通りなのかもよ」
「……。かもね」
冗談とも、本気ともとれない会話を短くかわす。
「あの後、どうしたんだい?僕が、気を失った後…」
「いろいろあったわよ、そう、本当にいろいろ。
なんとか生き延びた。私も、そしてあの人達もね」
「そう……」
「郁未、君は……」
「……うん?」
焦燥しきった表情のまま、肩に乗せられたその少年の顔を見やる。
だが、その瞳に宿る光は強い意志をたたえたままで。
「…僕を……どう思ってるんだい?」
一度、言葉を区切ってそう言った。
「今更、女の子の口から言わせる気?ほんとニブいのね、あなた」
わずかに顔をしかめる。
「違うよ。ただ……」
「ただ?」
「ただ……いや、なんでもない」
口を噤む。
侵食が完了した……ワケではなかった。
彼女の瞳に宿る光は、出会った頃といささかも変わらない。
それでも、神奈備命の使徒たる彼を護り、背負い歩いている。
「郁未は強いね」
「……どこがよ」
呟いたその声は風にかき消されそうな程小さい。
「今この瞬間に、此処にいることが、だよ」
「どうして?生きてるってことが?」
「心がだよ。初めて見たあの時から、そう思うよ」
「……バカ。私は強くないわよ。強くなんて。
だから、あなたを助けられず、私さえも救えずにこんな場所にいる。
こんな心の思いを居場所にして、ただ生きてる」
その言葉に少年は一度笑う。
「弱かったら、ここにはいないと思うよ」
心がね、と少年が言った。
寂れた街道を抜けて、脇へとそれる。
その先にある鳥居を潜って、あたりを見渡す。
境内もまた人気はなく、ただ沈みゆく夕日だけが長い影を落としているだけだった。
この時期、この時間であれば、蚊の一匹や二匹いそうなものだが、それすらもいない。
それはあまりに不自然なものだったが、郁未はさすがにそこまでは気を回せなかった。
「……ふう…」
小さく溜息をつきながら、中へと進み、そこに建てられていた古びた神社の扉を開け放つ。
「バチがあたらないといいけどね」
そんなことを気にしているような状況でもないのだが。
「こういうところの方がいいんでしょ?」
「そうだね」
背負われたままの少年が力無くそれに答えた。
確かに何もないところだ。奥に鎮座している仏様を除けば。
「もっと休めそうなところがありそうなものだけど」
呟く。
「こういうところの方が安全だよ。下手な民家よりはね」
少年は未だ意識のはっきりしない頭を働かせながらそう答えた。
だが、傷ついているせいか。
ここに来るまでの間、二人と一定距離を保って追ってくる尾行者の存在には気づかなかった。
「そうかもしれないけどさ。でももう少し体を休めやすい所はなかったの?」
「あいにく僕は地理に疎いんだ」
「嘘ばっかり」
「そうかもね」
どんな時でもこの少年はマイペースだった。
郁未が少年を木造りの床に下ろすと、彼の顔から笑みが消える。
郁未にとっては、割と珍しくもなかったが、彼がめったには見せない表情。
「郁未、一つ聞かせて」
何?と言わんばかりに彼の顔を覗き込む。
「もし僕がこの場で郁未を殺すつもりであれば…郁未はどうする?」
「……」
「……」
「……あなたを殺して私も死ぬ」
「……」
「……なんて言うと思った?」
「……ん?」
少年という形容に似合ったきょとんとしたあどけない表情で郁未を見上げる。
「私はあなたに殺されないし、あなたは私を殺そうなんて思わない。
あなたは死なないし、私も死なない。……OK?」
「お、おーけー……」
「よろしい」
「あ、あはは…」
額に汗を浮かべながら、そう答える。
「じゃあ、少し休みなさいよ。疲れてるんでしょ?」
「え、うん、じゃあ、そうさせてもらうよ」
ゴロンと音を立てて寝転がるが、目をつぶろうとはしない。
「ねえ、私からも一ついい?」
「……なんだい?」
「もし私が、あなたをこの場で殺すつもりであれば…あなたはどうする?」
「ここまで背負ってきたのに?」
「…じゃあ、質問を変えてあげる。あなたの問いに『あなたを殺す』と答えたら
あなたはどうしてた?」
「今と変わらないと思うよ」
「どうして?」
「言葉通りさ。ここで郁未の言葉で『お休み』って言ってもらって、寝るんだと思う」
「あなたね……」
「郁未」
そっと、少年が郁未の頬を撫でる。
「はいはい。お休み」
そっと少年の頬に口付けをしてやると、
「ん、お休み、郁未」
ゆっくりと、目を閉じた。