今や彼女は


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傾いた太陽が、街を斜めに貫いている。
強烈な光と影が、世界を二色に分けてしまった。
その後は闇に閉ざされるのを待つのみだ。
…そうなれば、勝ち目は薄い。
少年は音を頼りに接近し、”銃”という文明の利点をほとんど無に帰してしまうだろう。

「何してんだ、急ぐぞ!」
「居候の身分で、ホンマ偉そうやな!」
「……が、がお…」
三人は駆け続けている。
危機的状況を思い浮かべて、流れる汗を冷や汗に変えながら走る。
思った以上に距離をあけられ、レーダーの端に映った点を頼りに追跡を続ける。

気がつけばそこは、街外れ。
忍耐が限界に達しようとした頃、往人はようやく人影を見つけた。
顔は見えないが、女性のようだ。

残念ながら少年ではない……しかし挙動が怪しい。
その女性が、何かを探しているかのように茂みの中をじりじりと移動する。
いや、誰かを見張っているようだ。
「なんや、あれ」
「まあ待て…何か見つけているようだぞ」

三人が注目する中、彼女は立ち止まる(というか、コケた)。
その視線の向こうに、見覚えのある少女が居た。
…あれは、天沢郁未。
彼女が居ると言うことは、その先に-----少年が、居るのだろうか?

 息を潜めて晴子と視線を交わし、頷きあう。
 三人は静かに移動し始めた。

 再び、対決するために。

長い沈黙の後。
「…郁未さん」
ようやく、名前を呼ぶ。
そのあと、何を言うべきなのか。
だいたいわたしは、郁美さんに会ってどうするべきなのか。

「…郁美さん」
もう一度、呼んでみる。
他に何を言っていいのか、判らない。
彼女が変わったようには、見えない。

右手に銃を、左手にあの機械を握りこみ、葉子は立ち尽くす。
ここであの機械が、期待通りの効果を発揮したならば。
少年も郁未も、無力化するかもしれない。
(そんなことは…百も承知です…)
それでも迷いが、葉子の行動を制限する。

一方の郁未が返した言葉は、葉子にとって実に意外なものだった。
「…葉子さん?
 葉子さんは、大丈夫なのね?」
「…大丈夫、というのは?」
お互い、ぼろぼろだ。
だが、そういう意味ではない気がした。
外傷ではない、ということを証明するように郁未は続ける。
「声……聞こえたりしない?」
「声、ですか?」
首を傾げる。
心当たりは、何もない。
何かとても不吉な-----そんな予感だけが、そこにあった。

大きな溜息をつき、郁未が続ける。
「わたしたちは特に、聞こえやすいはずなんだけどね…」
何を言っているのか、全く解らない。
「ですから、声って誰の-----」

 -----余の、声じゃ。

「声-----!?」
眩暈がする。
視界が狭い。
思わず握り締めた手の中で、機械がパキン、と軽い音を立ててばらける。
想像以上に力が入っていたようだ。

 -----これの、せいであったか。

「葉子さん!?」
郁美さんが叫んでいる。
声が遠い。
だが立っていられないほどでもない。
駆け寄る郁未さんを抑えて、目で説明を促す。

ときおり郁未の意識に混ざりこむ、少年が”姫君”と呼ぶ存在。
不可視の力の素養が強いほど、姫君との繋がりも強いという。
「……それは」
葉子は絶句する。

郁未の不安。
その一部は、葉子も共に受け継ぐものだったのだ。
やがては、私も少年と同じ、殺戮の道を歩むのだろうか?
ごくり、と唾を飲み込んで葉子は考える。

 -----余は常に、語りかけていた。 

しばしの沈黙の後、悩んだ表情のまま首を振る。
そうだ、私は、声など聞いていない。
私は、私だ。
何も…聞いてなんかいない。

 -----信用できぬとあれば、目を見開いて右を見よ。
 そして余の存在を、受け入れるがいい。

「右……」
葉子が思わず呟いて、右を向く。
釣られて郁未も。

その視線が捕らえたのは-----郁未が何度か遭遇している-----男たち。
茂みに隠れた自分たちを狙おうとしているのだろうか、三人は移動している。
「……あいつ!」
郁未が小さく叫ぶ。
それが往人や晴子を指したものか、郁未を指したものかは解らない。
だが葉子は三人が敵なのだと考えた。

 普通ではないレベルの、嫌な同調。
 そして流れ込むのは、殺意のみなのか。

「-----援護を、お願いします」
それだけ言って、葉子が駆け出す。
あの男の視界外から、背中を追うように接近していく。
「よ、葉子さん!待って!」
郁未の制止の声さえ聞かず、みるみる距離を詰める。
「ん、もう!」
とにかく、葉子を放ってはおけない。
郁未もその後を追う事に決めた。

ショットガンを握り締め、往人たちを牽制するべく郁未が一歩を踏み出した時。
「……姫君は、なかなかどうして…人使いが、荒いね」
熟睡していたはずの少年が、寝転んだまま夕陽に目を細めて、そう言った。
ほんの数分寝ていただけで、はやくも寝癖がついている。
「……?…人、使い…?」
「うん。 どうしてこんなに、遅れたのかは解らないけれど。
 最初から、侵蝕速度が一番早いのは、彼女だと思っていたんだ。
 …今や彼女は、君より”こちら側”だよ」

 今ヤ彼女ハ。
 君ヨリ”コチラ側”ダヨ。

少年の言葉が、郁未の中で虚ろに響く。
眉をしかめたまま、再び神社の中に入り少年に駆け寄る。
…彼の言葉に対して、何の結論の出せぬまま。

「寝癖…できてるよ」
この期に及んで、あまり意味のないことを言ってみる。
そして彼の寝癖を抑えてやる。
「ん?…寝相は、いい方だと思っていたのだけれどね」
「ばかね……」

 郁未は少年を抱きしめた。

 愛しさと、悲しさと。
 恐れと、悔しさを込めて。

「……行ってくる」
郁未は、駆け出した。


【謎の機械破壊】
【葉子 侵蝕進行】

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