引き金の重さ
銃声が、聞こえる。
足を止め、息を飲む。
避けられぬ戦いは、既に始まっていた。
運命の悪戯とか、そういう偶然の要素が絡む余地などない。
参加者を殺そうとする少年を、あの往人という男は放っておかないだろう。
一方の少年も、自らの殺意を知る往人たちを、優先して殺そうとするに違いない。
(……それで、私はどうするの?)
郁未は何度となく繰り返した、答えのない問いを心にとどめて、再び駆け出す。
とにかく今は、葉子を助けなければならない。
走る。
ひたすら、走る。
いつのまにか、銃声は聞こえなくなっていた。
早くも決着がついてしまったのだろうか?
(葉子さん!)
心の中で叫ぶ。
それと同時に、聞き覚えのある声が耳に飛び込んできた。
『往人さん…』
『大丈夫や、居候は負けへん』
くるりと振り向く。
大きく回りこんでいた観鈴たちと郁未は、互いに気付くことなくすれ違っていたのだ。
(観鈴……)
苦悩のために眉間に皺を寄せながら、静かに散弾銃を構える。
刺激しないように静かに、だがはっきりと発音できるように心を抑え込んで郁未は言った。
「…観鈴、止まりなさい。
それ以上進めば…間違いなく、死ぬわよ」
その先には、少年がいる。
今は休憩しているが、いつ飛び出してくるかは解らない。
…もしかしたら、もう飛び出しているかもしれない。
どきり、と心が揺れる。
「郁未さん…」
悲しそうな表情の観鈴が、顔だけ振り向いて、ぽつりと呟く。
あきれた事に、もともと銃すら構えていない。
…そういう、娘なのだ。
「くそっ!ホンマむかつく小娘やな!
自分、さっきっから何がしたいんや!?」
対照的に、拳銃を握り締めた女-----観鈴の母、晴子-----が吐き捨てるように叫ぶ。
(……知らないわよ)
憮然として呟く。
そう、私には何度となく、この因縁の幕を閉じるチャンスがあった。
その度に結論を先送りにして、うやむやのまま互いに傷を増やす結果を導いている。
(あの時、引き金を引いていれば…)
そんな場面が、何個も思い浮かぶ。
-----私は、強くなんかなかった。
あいつが言うように、自分を見失わない強さはあったかもしれない。
でも、それが何になるのだろう?
少なくとも、私は。
自分の運命を自ら切り拓くほど、強くなんかなかった。
郁未が、構えた銃により、この静寂の空間を支配している。
しかし、たったひとつの叫びが平衡を切り崩した。
『ああああああああああっ!』
(葉子さん!?)
一瞬だけ、郁未の注意が外れる。
「観鈴っ!伏せときっ!」
晴子の叫びに、視線を戻す。
観鈴を茂みに蹴り飛ばし、晴子自身は反対側に飛んでいた。
「くっ!」
照準に手間取った挙句、散った二人を追いきれず、郁未は木の幹を盾に隠れる。
「今の声聞ぃたか、小娘?
居候の、勝ちや!」
嘲笑うように、拳銃を構えて立ち上がった晴子が宣言する。
「…まだ、解らないわ。
随分長い間、銃声が聞こえないじゃない」
銃声がして、続いて葉子の叫びが聞こえたのなら、葉子の敗北は決定的だ。
だから不利は確実とは言え、まだ解らない。
その辺の理屈は、晴子にも解っているのだろう。
苛立ちに身を任せ、引き金を引く。
「やかまし!黙っとけ!」
ガン、ガン!
デザートイーグルの弾丸により、郁未が手を回しても届かない程の、太い木の幹が易々と削れていった。
好きに撃たせれば、調子にのせてしまうかもしれない。
「いい気になるんじゃないわよ!」
ズバンッ!ドシャッ!
威嚇のために、散弾銃を応射する。 狙いは適当。
地面が派手に吹き飛んで、期待通り晴子の銃撃が止まった。
「くそったれが…」
悔しそうな声が聞こえる。
おそらく、身を隠そうと移動しているのだろう。
同時に晴子の声が移動していた。
たぶん、左へ蹴り飛ばした観鈴を巻き込まないように、右から回り込んでくる。
その対応は簡単だ。
…左へ移動すれば、それでいい。
(あの娘は-----観鈴は、撃たないのだから)
くるりと移動する。
あとは燻り出せばいい。
たった一つの嘘で、それは成るのだから。
「……観鈴、見つけたわよ」
そう言った郁未の表情は。
少年に、そっくりであったかもしれない。
「観鈴っ!?」
焦りに我が身を忘れて、飛び出す晴子。
「-----お母さんっ!?」
郁未が声をかけた茂みと全く違う場所から、観鈴が立ち上がる。
(本当に-----羨ましいくらい-----)
郁未が、引き金を引く。
その真正面には、晴子。
(-----馬鹿な、人たちね-----)
ズドン!ビシャッ!
直撃したスラッグ弾が一瞬にして胴体を破壊する。
できたての挽肉のように掻き回された腹部から、血飛沫を撒き散らして晴子は倒れた。
脱力し、銃を落とす。 眼の焦点が、あっていない。
-----勝負は、ついた。
最初は殺す気なんか、なかったのに。
(……ごめん…。
私…あなたみたいな母さんが、欲しかったわ-----)
最初は殺す気なんか、なかった。
言葉の応酬に憎しみを乗せるうちに、いつしか互いに殺意を重ねていた。
郁未は処刑を待つ咎人のような後悔の影を落として、観鈴の方を向く。
後から、かすかな声が聞こえる。
「…み……す、ず…逃げぇ…」
晴子の声。
もう助からないであろう母の、最期の願い。
「お、お母さんっ!」
観鈴が泣いている。
手には-----銃。
握った銃と入れ替わるように。
母の声は、聞こえなくなった。
(とうとう、構えたのね…)
ぼんやりと、郁未は思う。
何か放送がかかっている。 四人、死んだようだ。
聞こえているが、理解は出来なかった。
ただ名前を呼ぶだけで、精一杯だったから。
「…観鈴」
「……い、郁未、さんっ!」
観鈴が銃口を向ける。
郁未は散弾銃を構えることもなく、ただ観鈴を見ていた。
この娘に撃たれるのならば仕方がない、そんな風に思っていたから。
「どう、するの?
あなたが、決めて。
…撃つ気なら、早くしたほうがいいわよ」
早くしないと-----彼が、来るから。
「郁未さんっ!」
観鈴の手に、力が入る。
…それでも、引き金を引けないでいる。
「さあ、撃ちなさい!」
叫ぶ。
「郁未さんっ!」
叫ぶ。
-----そして、沈黙。
「ううっ……」
とうとう、観鈴は泣き出していた。
銃口が落ちる。
(本当に-----この娘は-----)
郁未は呆然としていた。
この娘は、母を殺した相手すら、殺す事が出来ないのか。
許されぬ罪を犯しておきながら、何故か郁未は微笑んでいた。
この瞬間、考えられないほどの安らぎが郁未を包んでいた。
しかし、その安らぎの時間は。
泡沫のように、一瞬の夢でしかなかった。
『…それなら俺が、撃ってやる』
郁未の振り向いた先に、一人の男が立っていたからだ。
その眼に暗い怒りの光を宿した、声の主が居たからだ。