いつか来る別れ、来る事のない再会。(Day Will Come.)
施設に向かって歩いていた私達は、その施設まであと数分と云ったところまで至っていた。
私が背後に忍び寄る何者かの陰に気付き、溜息を一つ吐いたのと殆ど同じ瞬間。
その青年は小さく息を吐き、回り込んで自分の前に立ちはだかった。
敵襲だろうか――ここに来てもまだ、戦おうというのか?
スフィーを背負ったままの自分も、後ろで少し震えている月宮あゆも各々の武器を取り出し、青年に向けた。
だが。
「あの――」
右手には拳銃を持ってはいるが、すぐにそれを私の前に放り、
「僕に戦闘する意志はありません」
青年は両手を挙げた。私は彼に向けた銃口を下ろすと、ほっと溜息を吐く。
戦闘をする意志のない人間が確実に増えている事を思い知らされる。
これ以上無益な殺人劇を見る事もなくなるのだろう。
傷だらけのその肉体の様子とは裏腹に、少女のように高い柔らかな声が特徴的だったその青年は、
「魔法使いを、捜しているんです」
そんな事を云った。
「あ、見えてきたよっ」
彼――七瀬彰と共に歩いていた私達は、施設が見える辺りまで到着した事をあゆの声で知った。
「うん」
私はあゆの背中で眠ったままのスフィーをぼんやりと眺めながら、小さく頷いた。
――詳しい話は、施設に到着してからします。
彰はそう云ったきり、自分達の後ろに黙ったまま付いてくる。
彼は見たところ普通の人間だが、それは自分達だって多分同じだ。
彼もまた、その特殊な体質か何かで神奈の邪悪な意志を感じ取ったのだろう。
協力者は多い方が良い。神奈が何処に乗り移ったとか、そう云う事を調べる上でも人手は多いほうが良い。
武器を他に潜ませている、という可能性も無くはないが、
もし何かおかしな素振りを見せたら――すぐに対処できるだろう。
「やっと戻ってきたね、あゆちゃん」
自分に替わってスフィーを背負っているあゆは、にこりと微笑んで頷いた。
――千鶴さんだって疲れてるでしょ。交替で背負っていこう?
そう云ったあゆの言葉が、何故か酷く疲れ果てた気力を回復させてくれた。
健気だった。
自分の妹と同じように優しい笑顔を見せた彼女はひどく魅力的に思えた。
初音。大切な妹
初音に会いたい。
梓は初音に会えただろうか? あの時気まずい別れ方をした。会って――とにかく、謝りたい。
何を謝るのだろうか? 言葉は思いつかないかもしれないけれど――
――そして、過ぎる記憶。
私ははっと息を呑んだ。
確かあの時初音の横に、私が殺そうとした男がいた筈だ。
――この後ろを歩く青年が、そうだったのではないか?
あれは?
「あれ? あそこにいるのは誰かな?」
考え事から目を覚まさせたのは、今度もあゆの言葉だった。
彼女が指差した先に見えたのは、一組の男女。
来栖川芹香――自分達の捜し人の一人であった彼女と、高校生くらいの少年。
――彼らもまた、施設に向かっているのだと云う事が見て取れる。
なんとか脱出しようとする、そんな同志は増えてきているのだ。
「さ、私達も急ごうか」
そう云って歩き出そうとした私を引き止める、掠れた声が聞こえた。
「千鶴さん。僕はあなたにだけ、どうしても云わなければいけない事がある」
振り向いた私は、青年の自嘲気味の笑みの意図が掴めず、そこに立ち止まった。
「僕はあなたのような――魔法使い、或いはそれに類似した人間を捜していた」
あゆと、彼女に担がれているスフィーと共に、少し先で立ち止まって自分達の様子を見つめている。
「それがどういう事だか判りますか?」
私の袖の端を握るその手は、震えていて。
「邪悪な意志。あなた達が云う――神奈の存在を、ただの人間である僕がどうやって知り得たか」
この青年は、ただの人なのか? それでは、どうやって知り得た?
「僕は――神奈に乗り移られたんです」
私はごくりと唾を呑んだ。――それは。
「そして、一人の人間を殺してしまったんです」
真っ直ぐな青年の目が意味するものは何か? 私は胸に過ぎる不安を無視するように心がけたが、それは無理な注文だ。
彼は、誰を殺した?
私だけをここに足止めした理由は。
私の大事な人を、誰かを、殺したというのか?
耕一さんか、梓か、
――初音か。
「それでは午後六時の定時放送を始める。死亡者は――四人。生き残りは後十三名だ」
放送が掛かっている。ああ、まさか。
「……あなたの良く知った人です」
やめて。――やめてッ!
お願いだからその口を閉じて!
放送は、止まらなかった。
「021 ――柏木初音」
「うあああああああああああ!」
私は思わず絶叫をあげた。最も聞きたくない事実。嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ、嫌だ。
結局あの子に謝ることが出来なかった。私は、初音に誤解されたまま――死なせてしまったのだ!
――理解は出来るつもりだった。
喩えどんな話を聞こうとも、本当に悪いのは神奈であると云う事が。
だが。
「あなたはッ――あぁぁっ!」
「千鶴さんッ――!」
放送を聞いて、私の咆哮の理由が判ったのだろう、僅かに声を震わせてあゆが止める。
しかし、なんと云って止めれば良いのか判らないだろう、それ以上に続ける言葉が無かった。
それはそうだ、妹を失った悲しみがどのようなものであるか?
それが、筆舌に尽くしがたい残酷なものであるのだと云う事が、簡単に判ってしまうから。
結局私は――握り締めた拳を全力でその頬に叩きこんだ。
ガシィッ!
大地に捻じ伏せられた彰は、殆ど抵抗する事無くその拳を受け入れた。
ただの八つ辺りに過ぎない事は判っている。だが、それでも止められなかった。
口の中が切れているのだろう、彼の唇から真っ赤な血が流れ出していた。
「僕が――、殺しました」
青年のあまりに遣る瀬無い告白は、私にとってただ涙を誘うものでしかなかった。
誰を憎めば良い? 誰を。私の怒りを何処に向ければ良いのだ?
謝りたかった、初音にだけは、嫌われたくなかった。
あれほどに優しい子だったから。
耕一さんッ――、私はっ――。
零れ落ちた涙が、自分に圧し伏せられた彰の頬にぽつりと落ちた。
「ごめんなさい」
掠れるような声が、そこで呟いた言葉は謝罪の言葉だった。
誰に対する謝罪の言葉だというのだ?
誰が悪いわけでもない。この青年を責める事など出来ない。
何故謝るのだ。
私はどうしようもなく不快な気分になり、もう一度彼の頬を叩こうとして――
「でも、今は――殺さないで欲しいんです」
彰のそんな声を聞いた。
「何か――方法があるのでしょう? 特定の何かにあの精神体を追いやる方法が。
精神だけの存在を殺す事など本来は出来ない。だけど、身体と一緒なら別の筈だ。
誰かの身体の中にいたならば、肉体と一緒にあの精神体を殺す事が出来る。そうでしょう?」
その通りだった。私は唇を噛みながら青年の言葉を聞く。
「今はなくても、その方法を見つけるつもりなのでしょう、あなた達は。その為に動いているのでしょう? ――」
自分に組み伏せられたその青年の頬には、伝う透明な雫。――涙。
「もしその方法を見つけたなら。見つけたのなら、僕の身体にそれを追いやって」
斬って下さい。
そう云った。
私は思わず飛び退いて、息を吐いた。
私は倒れこんだままの青年を多分奇異の目で見ていた事だろう。
彼は何故泣いている? 初音の事を、私の妹を殺したという事に対する罪悪感? それとも、
ああ。
――そこで漸くにして理解した。
――自分が大きな勘違いをしていたのだと云う事。
――彼が神奈の意志にやられて、無差別に初音を殺したわけではないのだという事。
――それどころか、彼こそがきっと初音の前に最初に現れた――大切な人だったのだと云う事。
最後まで初音を守り通すつもりで、共にいたのではないか?
あの時、エルクゥに覚醒しかけていた初音と一緒にいた青年は、間違い無く彼だ、
それなら、彼は初音を今の今までずっと守り通してきたのだろう。
それでは、彼はあまりに救われない存在ではないか――!
「僕を、殺してください――……」
あまりにその言葉は重い。彼は今この島で生きている誰よりも――悲しい。
先の謝罪の言葉は誰に捧げるものだったか? 決まっている。
私にでも、それ以外の誰かにでもない。
初音に、だ。
私は――
さよならすらも云えないで、僕と君とは離れ離れになってしまった。
そしてこんな風に真っ赤な手をした僕は、きっと君と同じ所には行けない。
大切な人を殺してしまったこの手を、この身体を、そして、僕の汚れた心まで。
どうか、殺してください。出来るだけ残酷に、苦しんで死ねるように。
喩えどんな目にあったとしても、赦される事はないとは判っているけど、
せめてもう少しだけでも――君の近くに行く事が出来るだろうと思うんだよ。
【柏木千鶴 月宮あゆ スフィー 七瀬彰 ――――――施設の近くで会話中。北川組は施設に侵入しました。
彰をこれからどうするかは次以降の人にお任せします】