ヴァンパイア
「くそっ、どこだ梓」
降りしきる雨の中、私は耕一さんと走っていた。あのおじさん――昔、従姉と
いっしょに行った喫茶店のマスターのおじさん――の襲撃。
それの相手に手間取ってしまい、梓さんとの距離はかなり離れてしまっている。
いやそれだけじゃない……梓さんに追いつきたくない、私は耕一さんと一緒にいたい……
誰にも邪魔されずに……その気持ちが、私の足取りを重くさせていた。
「……っ? マナちゃん、大丈夫か?」
耕一さんが私の足取りの重さに気付き、そう声をかけてくれた。
やだな、耕一さん。これは演技ですよ、はい。梓さんに追いつかないための演技です。
そんなのに気付かないなんて耕一さんもまだまだ人間観察眼が弱いですね。
「マナちゃんっ? おいっ!!」
やだな、だから演技ですってば。でも結構名演技。演技だけなら従姉の由綺お姉ちゃんにも
負けないかもね。動悸、息切れ、発熱……どれをとっても一級品。あの時読んだ本の症状通り。
えっとあれ何の本だっけ? 確か………思い出した、あの本は確か……
――人体における有毒物摂取時の諸症状――
「マナちゃん!!!」
気が付くと私は耕一さんに抱きかかえられていた。一瞬意識を失ってたらしい。
なんかひどく息が荒い。体も奇妙な火照りをもち、思うように力が入らなかった。ふと奇妙にうずく自分の
手に目をやると、先程鋏で傷つけられたところが黒ずんでいる。なるほどね。
私は直感的に理解した。さっきの鋏に毒でも塗ってありましたか。まったく用意周到なことで。
「マナちゃん? よかった、気がついたか」
文字通り心の底からって感じで耕一さんが安堵の表情をする。ふう、まったく。……そんな表情をされると
こっちの覚悟が揺らぐじゃないですか。だから私は、彼の口から次の言葉が出る前に言った。
「耕一さん、早く梓さんを追って下さい」
―――まあ私はやっぱしどこか小生意気なところはあったと思う。別にそう思われてもかまわないと思ってたし。
よく勉強が出来るうんぬんと嫉まれたりもしたが、それは私がちょっとばかし勉強に興味を持っていただけだし、
それに十分努力もしてきたつもりだ、多分。
この島へ来て、あの人――霧島聖先生――に出会った。「私は医者だ。だから殺すのではなく治す」
……はじめ、ここでそんな事を言うなんてなんて馬鹿げているんだと思った。ここは殺し合いをする島、
でも彼女はそう言い、最後までその言葉に従って行動していた。私はいつしか彼女に感化されていた。
彼女――霧島先生――は本当の意味でも強い人だったんだと思う。
「そんなことはない、私も弱い人間だよ……」
ふふっ、そうですね。先生だったらきっとそうおっしゃりますね。でも私は、……先生の遺志を継ぐといっておきながら、
自分の嫉妬で、自分の都合で人を縛っています。ごめんなさい……私は、弱い人間です。
「ふむ、だがなマナ君。人ははじめから強い人間なんて何処にもいない。人は自分の弱さを認めたとき、初めて強い人間に
なれるのだよ……」
確か毒の症状の一つに、幻覚症状があったのを覚えていた。なるほど、今のがそうなんだ。最後の先生が言った
フレーズなんて、前の日曜に読んだ小説の一文そのまんなじゃない。でも霧島先生ならいいそうだな。
「マナちゃん……」
耕一さんが、まるで鳩が豆鉄砲をくらったかのような表情をしていた。そうか、この表情ってずっとどんなのか
疑問だったんだけど、今その長年の謎が解決したな。
「耕一さん、梓さんを追って……。梓さん、初音ちゃんが死んで混乱している。でも耕一さんだったら彼女の心を
取り戻せる」
「…………」
「私ちょっと疲れちゃったから、もう走れそうにないから……、ここで休んでます」
「…………」
「早く、今だったらまだ間に合う。梓さんをとめて、生き残ったみんなと合流して。そしてみんなでこの島をでよう。
みんなで元の生活に戻ろう。ねっ………」
これは体に入った毒のおかげだろう。私の中からさっきまでのもやもやした感情が消えていた。まさに毒をもって毒を制す。
まあ多分、死に瀕して余計な感情をもつ余裕がなくなっただけなんだろうけど。
でも、最後に残った感情が人を救いたい――多分、霧島聖先生と同じ――感情で、私は少し嬉しかった。
「わかった」
しばしの沈黙の後、聞こえていたのは悲しみと決意ともう一つが絶妙にブレンドされた彼の声だった。
多分わかっていたんだろう………私がもう長くないことに。
「あっ、でも一つだけ………」
ああ、聖先生ごめんなさい。私、最後にもう一つだけ感情残ってました。まだまだ精進が足りないようです。
でもいいですよね先生?、最後くらい……
「私、ちゃんと迎えにきてほしいから……、後で迎えにきてほしいから、そのっ……約束として……、
その証としてキスして…もらえます……?」
なんのかんのいっても、私はそれにちょっと憧れていた。だから……
――盟約
――永遠の盟約だよ
彼は少し照れくさそうな表情をして、うなずいてくれた。
重なりあう二人の唇。
それは、もしかするとただの哀れみだったのかもしれない。ただの自己満足だったのかもしれない。
でも、やっておきたかった。生きているうちに出来ることの全てを。後悔は、したくなかったから。
不思議と意識がはっきりしていた。死ぬ直前って案外こんなものなのかな? まだ時間あるみたい。
すこし悪戯心が湧きあがる。えーい、舌いれちゃえ。
「………っ?!」
彼はそれに答えてくれた。やさしく入ってくる彼の舌。私は思わず……
「つっ………!」
「あっ……。ごめんなさい!! でも、ディープキスって本当に血が出るんだ……」
「ひどいな、マナちゃん」
彼はそういったけど、また唇を覆ってくれた。先程と少し変わり、なんだか鉄のような味が口にひろがる。私が噛んでしまったところから
あふれ出る彼の血。でも不快ではなく、むしろ心地よい味だった。
私はひたすらその味を求める。だってこれは彼のもの、私がおそらく最後に感じる味覚だろうから。
いつしか雨がやんでいた。
「ここなら多分大丈夫だ」
彼は私を茂みの中につれていってくれた。
「きっと迎えにくる。だからここでじっとしておいてくれ」
「うん、わかった」
永遠に続くかに思えた二人の邂逅は終わっていた。時間にして5分も経っていなかったろう。でも、おじさんの襲撃をうけてから既に20分近くがたっている。
だめだな、私。結局最後まで邪魔しちゃった。
「マナちゃん」
「なに?」
「忘れないでほしい。君がいたから助かった人、救われた人もいっぱいいたってことを」
「………」
「それと……、俺は絶対に君を迎えにくるから、絶対にくるから……な」
「なにいってるの。そんな事いう暇あったらとっとと梓さん探してきて」
「ああ……、だから絶対残りのみんなと一緒にこの島をでような」
彼はそういって最後に私に軽くキスをしてくれた。そして走り去る。彼の足音が遠ざかっていく。
……ふゎ、眠くなってきた。確かにここのとこ、ろくに眠ってないな。すこし可笑しくなる。永遠に続くかに思えた日常。
それは脆くもやぶれ、この島での地獄がはじまった。永遠に続くかと思えたその地獄。だがそれも永遠ではなかったようだ。
彼との邂逅。私はその時はじめてずっとこのままであってほしいと――永遠を――望んだ。そんなものありはしないのに
――永遠はあるよ
どうでしょうねぇ。彼女は笑う。本当にあるのならみてみたいものね。
――ここにあるよ
彼女は眠りにつく。安らかな眠りへと。
【019 柏木耕一 梓を追跡】
【088 観月マナ 眠る】