偶然性
どこまでも続く、無機質で幾何学的な、味気ない廊下に。
彩りと騒々しさを与える人影が、二つあった。
そこは岩山の施設。
どうにかこうにか、内部に侵入した二人は、北川の一方的な提案に従って、最下層に降りてきていた。
「さあ、最下層に辿り付きました。
きっとこの階にマザーコンピューターがあるに違いません。
何故なら重要なものは、最下層にあるのがお約束だからです!」
意気揚揚と、興奮した北川が誰にともなく解説している。
「……」
北川に隠れて、影のように立つ少女が一人。
あまりに落ち着いた、その物腰からか、大人びて見える。
徹底した小声と無言の反応は、時として彼女の賢明さを、他人の目から遮蔽する。
普段、知性も含め鋭敏とは考えられないのだが。
来栖川芹香の頭脳は、高速回転していた。
「な…無い!
なんということでしょう、この階のどこにも、コンピューターは存在しないのです。
ああ神様、私北川の苦労は、バイクの下敷きになった苦痛は、全て無駄だったのでしょうか!?
そもそも、この施設にあるというコンピューターの存在自体が、幻だったとでも言うのでしょうか!」
芝居じみた仕草で廊下に崩折れた北川が、これまた大袈裟な身振りで天を仰いでいる。
(……馬鹿…?)
いちはやく見取り図を発見した芹香は、北川の猛烈な悲劇トークを軽く聞き流して、コンピューターの
ありそうな部屋を探す。
…発見。特徴的な三本の縦穴構造の中央に位置する、円形の部屋。
間違いなく、マザーコンピューターと書かれている。
「……(ぽん)」
今や最高潮に達した、悲劇トーク独演会を続ける北川の肩を叩く。
…遊んでいる場合じゃない。
CDだけでなく、自分が死亡扱いになっているのが気になる。
マザーコンピューターなら、真実を暴き出す手掛かりがあるかもしれない。
いつまでも、北川の一人漫才を眺めているわけにはいかない。
「…芹香さん…」
感謝の目で見つめる北川。
…慰めていると、勘違いされたようだ。
この際、どうでもよいが。
とにかく北川の軽い口を閉じ、重い腰をあげてもらわねばならない。
「-----あっ!芹香さん!見取り図ですよ!」
「……(こくこく)」
「これでコンピューターの位置が…あった!ありました!
こんなところで遊んでいる場合じゃありません!
急ぎましょう!」
「……(こく)」
…遊んでいるのは、わたしじゃない。
それでも、急ぐという結論に文句は無いから…黙っておく事にした。
「…と、いうわけで。
すぐそこまで来ておるぞ、お嬢」
「なにが”というわけ”だかわかんないけど、ふみゅーん!」
「どうするんじゃ。
パスコードは”かゆ”と”うま”の二重で設定されとる。
まず、あっちから開けることは出来んぞ。
つまり、入れるか入れないかは、お嬢が決めるんじゃ」
「そそそ、それくらい、わかってるわよ!
ちょ、ちょおむかつくのよっ!」
詠美は、さも嫌そうな顔をして銃を持つと、足音荒く扉のほうへと歩いて行った。
その途中で、ぴたりと停止する。
「……ねえ、ほんとのところ、どうおもう?」
「何がじゃ」
「北川って人、ほんとにあぶないとおもう?」
「…判らん。
島に来る以前のデータにおいて、凶悪であった者なぞ、ほとんどおらんのじゃ」
それすら判るなら、わしゃ人間以上じゃよ、と付け加える。
「…どうしよお…」
「開けて上手くいくとは限らんが、CDが必要なのも確かじゃ。
好きにするがええ」
「……ふみゅー…(泣」
再び歩きだし、扉の前に立つ詠美。
扉の外の話し声が、聞こえてくる。
「ふみゅ???」
詠美は両手と、片耳を扉に当てて、外の様子を聞き取ろうとした。
《**パスコードを入力してください**》
「……なんだよコレ」
北川は扉の外側で、悪態をついていた。
《**…だ…よ…コ…レ…**》
北川の発言が、小さなモニターに流れて行く。
そしてまた、最初のパスコード要求画面に戻る。
「音声認識パスコードか…オープンセサミ、みたいなやつだな」
腕を組む。ヒントは何も思いつかない…お手上げだろうか?
そこで北川は、何かが内部で騒いでいる声に気が付いた。
「なんだ?…随分かしましいな?」
北川は両手と、方耳を扉に当てて、中の様子を聞き取ろうとした。
目の前で、車に轢かれた蛙のように。
扉にべったりとへばりつく北川を、憐れみに満ちた目で芹香は眺めている。
(……馬鹿…?)
耳を当てるまでも無く、芹香は声を聞きとっているのだ。
『北川って人、ほんとにあぶないとおもう?』
「……(こくこく)」
「バカゆーな!
このナイスガイを捕まえて”あぶない”ですとーー!?”」
肯定する芹香と、その前で否定する北川。
《**…カ…ゆ…**》
…モニターの文字が反転している。
芹香は熱心に聞き入っている北川に、それを知らせようとしたが。
「……(ぴたり)」
…へばりつく姿の滑稽さに呆れ、やめた。
『開けて上手くいくとは限らんが…』
「上手くいくかどうかは、開けなきゃ判らんだろうが!」
北川が叫ぶ。
…かなり逆上してきている。
バイクに轢かれても、これほど怒らなかったのに、不思議な挙動だ。
《**…上…手…**》
プシー。
空圧の変調する音が聞こえ、扉が開いていた。
-----そして扉を失った詠美と北川は。
お互いの両手と頬を当て、呆然としていた。
「「……」」
「……」
…そんなご都合な。
芹香は、これ以上ないくらいに呆れていたが。
とにかく、中には入れたのだから…黙っておく事にした。
「みゅ?」
ただひとり。
繭の声だけが、円形の室内に響き渡っていた。
【北川潤、来栖川芹香 コンピュータールームに進入】