離散、思いがけぬ危機


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 モニターに映ったのは。
 まさしく鬼の形相で疾走する梓の姿だった。
 だが、その姿を捕らえられたのは、ほんの一瞬。固定カメラである以上、
その有効範囲は決して広くはない。彼女はすぐにカメラの有効範囲を通り
過ぎていった。
「……今の場所はどの辺りですか?」
 先程までとは全く違う、深く、静かな千鶴の声。
「じゃが、あの嬢ちゃんの様子は尋常じゃない――」
「どの辺りですか?」
 念を押すように、もう一度尋ねる。
「……分かった。あの嬢ちゃんのいた場所はな――」
 教えなければ、先程とは違い、本当に自分を破壊しかねない。そう判断
したG.N.は、観念して居場所を教えることにした。

「――といった感じじゃよ。ただし、あの嬢ちゃんの爆弾はもうないから、
 レーダーによる追跡は無理じゃ。現時点であのカメラからどれだけ離れた
 のか見当もつかん。一応他のカメラのチェックは行っておるが、正直期待
 できんじゃろ」
「それだけ分かれば十分です」
 千鶴は皆に背を向け、部屋の出口へと向かう。
「ち、千鶴さん、どこへ――」
 先程千鶴に腹を殴られた北川が、地面に伏しながらも何とか声を絞り出す。
誰もが愚問だと思うだろうが、それでも聞かずにはいられない。
「梓は初音を失ったことで錯乱しています。それを止めて、連れ戻してくる
 だけです。すぐに戻りますから」
 彼女は平静を保っていた。異常なほどに。
 彼女を止められる者は、いなかった。



 千鶴が部屋を出ていった後は、沈黙がこの場を支配していた。
 その沈黙を破ったのは、ここにやって来て以来、何も喋らずにずっと
部屋の隅に座っていた青年だった。七瀬彰と言ったか。彼はほとんど音
もなく立ち上がり、部屋の出口へと向かう。この沈黙があったからこそ、
彼の行動に気付けたと言ってもいい。
「ちょ、ちょっと、あんたまでどこいくの?」
 慌てた様子で詠美が尋ねる。
 千鶴には、確かに外に出ていくだけの理由がある。妹を殺され錯乱した
梓を止めるという。この青年にもそれに匹敵するだけの理由があるのか?

「彼女の妹を殺したのは、僕なんです」

 場が凍り付く。
 あらかじめ施設外でその話を聞いていたのは、あゆとスフィーだけ。
他の者にとってはあまりに衝撃的な告白だった。
「だから、僕には行く義務がある」
 行けばどうなるか。あの梓の映像を見た者に、それが分からないはず
もない。多分、命の危険なんて彼にはどうでもいいことなのだろう。
 だが。
 たとえ事情はどうであれ、これ以上人が死ぬかもしれない状況を黙って
容認するわけにはいかない。
「おい、ちょっと待て――」
 北川がふらふらになりながらも立ち上がり、彰の肩を掴んだその瞬間。
 千鶴に一撃を見舞われたダメージがようやっと回復しつつあった腹部に、
更に強烈な一撃を叩き込まれる。振り返りざまの問答無用の一撃を受け、
北川は再びもんどり打って倒れた。
「……ごめんなさい。でも、無駄死にするつもりはないから」
 それだけを言い残し、彼も部屋を出た。
 彼を止められる者もまた、いなかった。



 えー、みなさんお元気ですか? 北川潤です。で、お元気ですか?
お元気ですか。そうですか。え? 私? あー、私は多分元気だと思い
ますよ。
 ……殴られまくってるけどな。
 何故にこの紳士の中の紳士、私北川潤がここまでひどい仕打ちを受け
なければならないのでしょうか? 何か悪いことでもしましたか?
しましたか。そうですか。私の存在自体が罪だとおっしゃりますか。
ああ、私は何と罪な男なのでしょう。

「何とかしないと……あの梓って人、きっと、神奈の影響受けてる……」
 弱々しいながらも確かな意志を含んだ言葉が、地面にうずくまっていた
北川を現実へと引き戻す。
 その声の主は、スフィーだった。彼女は何とか立ち上がろうとしたが、
身体がそれについていかない。
 そういえばさっきから気にはなっていたのだが、前に見た時より心なし
か小さくなっているように見える。とりあえずそれはどうでもいい。重要
なのは、その言葉の方だ。
「マジか?」
「少ししか見えなかったし、映像越しだから確証は持てないけど……」
 これは窮地だ。外にはまだ、往人達が追っていった少年とやらの集団、
それに寡黙な髭面親父がいるはずだ。加えて梓まであの状態、それが神奈
の影響によるものだとすれば、単独で外に出ていった千鶴や彰の身の危険
は更に高まる。
 部屋を見回す。現状で残っているのは、自分を除いて五人。
 来栖川芹香、スフィー、月宮あゆ、大庭詠美、椎名繭。はっきり言って、
まだ敵がいるかもしれない外に連れていけるような面々ではなかった。
 だとしたら、どうする?
 答えは決まっていた。
「スフィー、とりあえずお前じゃ無理だろ。ここで休んでな」



「施設の中は安全なんだよな?」
 CDは解析中。今自分がこの場にいなければできないことはない。CD
の解析が済み、後は実行できるだけの状態になった時にここにいればいい。
「で、でも――」
 何とか動けるようになってすぐに、準備を始めた。銃や刃物などの武装。
応急処置用器具一式。他にも施設内で見つけた使えそうな物を持っていく。
「一応、パスワードは変えておいた方がいい。みんなには俺から知らせて
 おくから。いざとなれば内側から自由に開け閉めできるんだろ?」
「うん……」
 この場に残す面々の中で最年長と思われる詠美に、諭すように続ける。
「だったら大丈夫だ。千鶴さんと、七瀬の彰くんと、千鶴さんの妹の、
 えと、梓さん――か? とにかく、三人を連れてすぐ戻ってくるから。
 それまでみんなのことを頼む」

「待って!」
 彼の会話に割り込んできたのは、意外な人物だった。
「ボクも連れてって!」
 月宮あゆ。
 だが、残念ながらその申し出を受ける気にはなれなかった。
「おいおい、外にはまだ敵がいるんだぞ? いくら天下の北川様でも無力
 な女の子を守りつつってのは厳しいと思うんだが」
「でも――千鶴さんと梓さんを放ってこのままじっとしてるなんて、ボク
 にはできないよ!」
 仮に断ったとして。
 彼女はきっと、北川が施設を出た後に、一人で外に出て千鶴と梓を捜そう
とする。ここで強く止めても無駄だ。彼女の決意に偽りがあるとは思えない。
 どうせ二人とも外へ行くのならば、二人で一緒に行く方がいい。考え方の
違いだ。二人で行けばお互いが自分を、そしてお互いを守れるかもしれない。
「……分かったよ。でも、自分の身は自分で守ること」
「うん!」



「じゃあ詠美さん、ここのことは任せたから」
「ふみゅーん……」
 不安そうな彼女の声。
 それも仕方ない。行動の指針を示すことができるリーダーであった千鶴
がいなくなってしまったのだから。残念ながら、今この場で集団のリーダー
を張れる人間――例えば、少年を追っていった往人、変態女装野郎の耕一、
結局会えず終いだった蝉丸のような――はいない。それは北川自身も含めた
上での話だった。
 だからこそ、千鶴達を連れ戻さなければならない。不安が皆を押し潰し、
集団内に不和が生まれる前に。
 もうあんな思いはたくさんだ。
(ま、たまにはシリアスにいくのもいーだろ)
 彼に向いているとは思えないこの行動が、吉と出るのか凶と出るのか。
 だが、今はそんなことはいざ知らず。
 彼はあゆと共に外への第一歩を踏み出した。


【柏木千鶴、七瀬彰、北川潤&月宮あゆ、それぞれ施設の外へ】
【大庭詠美、来栖川芹香、椎名繭、スフィーは施設残留】

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