使命感


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(分からないよ……)

 天井を見ながら、思った。
 とりあえず彼女――スフィーは激しく衰弱していた。あからさまに衰弱していく自分
のことを心配した詠美と芹香によってこの医務室のベッドに運ばれ、それからどれだけ
の時間が経ったのか見当も付かない。ほんの僅かな時間だったのかも知れないし、大分
長い時間だったのかも知れない。
 不調の原因の一端は、誰に言われるまでもなく分かっている。むしろ自分だからこそ
分かる。
 魔力の流出。
 だが、その流出の度合いは半端ではなかった。かつて自分と健太郎を結んでいた腕輪
があった時よりも、遙かに速いスピードで魔力が失われていた。そのあまりの急激さ故
に、体力までもが失われているのだろう。
 魔力が失われる根本的な原因は、結局のところ分からない。

 だが、それ以上に分からないことがある。
 魔力が失われていくのと同時に、その代わりとばかりに自分に流れ込んでくる断片的
な情報。あまりにも断片的な。そして圧倒的な。
 着物を着た男女の死体。月。天まで届かんばかりの篝火。翼。岩の牢獄。空。
 自分が見たこともない光景だった。
 それらが流れ込んでくるたびに、自分を構成する何かの中で最も大切なもののうちの
一つが遠のいていく。

 五雨月堂で過ごしたあの日々が。
 グエンディーナで過ごしたあの日々が。
 結花のホットケーキが。
 リアンの笑顔が。
 健太郎の後ろ姿が。
 自分が撃ち殺した少年が残した、最期の言葉が。

(でも、今はのんきに寝てる場合じゃない。あたしがやらなくちゃ――)

――何を?

 それでも彼女はベッドを降りる。ふらつきながら、医務室の扉まで辿り着き、その扉
を開ける。何故か魔力の流出は止まっていたが、今の彼女にとってはもう関係のない話
だった。



 施設内、コンピュータールーム。
 のんびりと茶をすすりながらCDの解析――そして北川達の帰りを待っていた詠美と
芹香は、予想だにしなかった来客に驚いた。
「ちょ、ちょっとだいじょーぶなの!?」
 詠美は突然コンピュータールームに戻ってきたスフィーに駆け寄ろうとして――でき
なかった。
 焦燥。
 悲壮。
 使命。
 そういったものが、彼女に何人たりとも立ち寄らせまいとしていた。
 憔悴しきった顔色のまま、彼女はふらふらと歩き、腰をかがめ――何かを手にした。
それを少し弄ったかと思うと、再び立ち上がる。
 彼女が手にしていたのは、北川達が置いていったM4カービンだった。今のスフィー
の小さな身体――しかもすっかり衰弱していた――にとってはそれなりに重いはずなの
だが。
 銃口は詠美と芹香、そしてマザーコンピューターのメインモニターの方に向けられて
いる。
 当然の如く。
 そこに迷いはない。
 安全装置は外されていた。

「お、おい、お嬢ちゃん、何やっとるん――」
 その状況になって、最初に声を発したのはG.N.だったが。
 たたた――と軽い音がしたのと同時、マザーコンピューターのメインモニターが吹き
飛んだ。
「きゃあっ! なによなんなのよもー!」
 破片が詠美や芹香の頭上に降ってくる。詠美は思わず頭を抱えて身を屈める。湯飲み
茶碗も床に落ちて砕ける。
「…………」
 帽子の上にモニターの破片が降ってきてもなお、芹香の無表情さは変わらなかった。
だが、見る者が見れば分かっただろう。スフィーを見つめる彼女の瞳は悲しさに満ちて
いた。聡明な彼女には分かってしまったのだ。スフィーに何があったのかを。
 そして、狙いの定まらないスフィーの銃口は自分に向けられようとしていたのだと。

 決して聡明だとは言えない詠美も、銃口が自分に向けられていないことには気付けて
いた。
 じゃあ誰を狙ってるの?
 そこまで到達できれば後は簡単だった。他には芹香しかいない。



 M4カービンから三発の弾が射出される。その反動は今のスフィーに支えきれるもの
ではなかった。大きく体勢を崩し、後方に転倒する。
 それでも、芹香や詠美が体勢を立て直す前には再び起きあがっていた。室内ではある
が、それなりに距離もある。少なくとも、飛び込んでスフィーを取り押さえるには至ら
ない。死ぬ気で飛び込んでくれば話は別だが、それでも大方無駄死にで終わるだろう。
標的が近ければ近いほど、弾は当たりやすくなるのだから。
 もちろん銃口は前に向ける。

(……あたしがやらなくちゃ……)

 もはや使命感だけが彼女を突き動かしていた。それを達成しなければならないという
焦燥感と、何としても成し遂げねばならないという悲壮感と。

(……あたしがやらなくちゃ……)

――何を?

 だが、その問いに答えてくれる者は誰もいない。彼女自身も含めて。



 詠美は思い出していた。

『早う逃げるで! 同人女は夏こみまでは死ねんのや!』
『えーい! 女々しいわ! いつまでもグズっとらんと、しゃんとしい!』
『スマン……詠美っ!!』

 おろおろすることしかできなかった自分の手を引いてくれた、由宇のことを。

『ああ。頼りされたいし、頼りにしてる』
『待てっ! 詠美!!』
『……愛してる……』

 壊れかけた自分の心を現実に繋ぎ止めてくれた、和樹のことを。

『……下僕じゃねぇかよ!! このアマふざけやがって!!』
『けっ……おめぇなら、大丈夫だ……戦え』
『笑って――笑って、バカやってろ。そうじゃねぇ、と、おめぇらしく――』

 逃げることしかできなかった自分に戦うことを教えてくれた、御堂のことを。

 自分の浅はかな行動のせいで和樹と共に命を落とした、楓のことを。
 自分の眉間を貫くはずだった弾丸をその身を以て防いだ、ポテトのことを。

 今まで出会ってきた、全ての人達のことを。

 たたた――

 あまりに無情な、無感動なその音が、再び部屋に響き渡った。



【G.N.、メインモニター全壊。他は無事だが緊急停止中】
【スフィー、魔力を奪われ神奈の影響を受け始める?】
【大庭詠美&来栖川芹香、その運命や如何に……?】

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