川をあるくひとたち
藤田浩之は歩いていた。
彼は、とりあえずここがどこかは深く考えない事にした。
考えても、答えが出ないことは明白だったから。
(それにあの場面から来たのがここ川となると、これはもう例の「あそこ」しかないよな。)
浩之の口元に苦笑いが浮かんだ。
「あかりは、どこにいるんだ・・・・・・」
最後の瞬間まで一緒だった、幼馴染の少女を探して、彼は、川を歩いていた。
見覚えのある少女が、川辺に鎮座していた。
(・・・・・・あれは。)
俺が殺した、女の子だ。
あの学校の屋上で、俺が撃ち殺した、女の子だ。
「・・・・・・」
浩之は、ゆっくりと近づいていった。なるべくなら気づかれずに通りすぎたい。そう願った。
えてしてこういう願い事は、かなわない事になっている。
「・・・・・・あの。」
女の子が、口を開いた。
「ここは、どこなんでしょうか。」
「・・・・・・ああ。」
どう答えるべきだろうか。天国?地獄?
「・・・・・・まあ、目の前に川があるな。」
事実を告げる事にした。
「・・・・・・」委細承知、といった表情だった。
「あなたは、私を殺した方を知っていますか?」
唐突な質問。浩之の胸の奥がずきりと痛む。
「・・・・・・ああ。」
「その人は、ここにいるのでしょうか。」
「いると思うぜ。いや、絶対にいるな。」
「もしその人に会う事があったら、私からのことづてだと言って、こういってください」
次に彼女が口を開いたとき、でてくる言葉はどんな罵詈雑言だろうか。浩之は、そんな事を考えていた。
「ありがとう、ございます。と」
「・・・・・・どうして。」
「私は、目が見えないんです。あのゲームにおいてこれは致命的なハンデですよね。私は、初めから参加する気はありませんでした。
私は、最期に風を感じたくて、屋上に上がったんです。
私の願いはかないました。そして、風を感じながら誰かに撃たれて死にました。
悔いは残りましたけど、安らかに死ねてよかったと思っています。痛みもあまり感じませんでしたし。
とりあえず、私以外の誰かを撃つ銃声も聞かずに済みました。」
「・・・・・・」
「その人は、それからもたくさん人を殺している極悪人かもしれませんけど、私のことに関しては」
「・・・・・・」
「ありがとう、と いっておいてください。・・・・・・お願い、出来ますか?」
「・・・・・・分かった。絶対に伝えておく。約束するぜ。」
「ありがとうございます。」
その後は、浩平も、眼の見えない少女も、無言でそこにいた。
「・・・・・・あっ」
声を上げたのは少女のほうだった。見ると、別の少女――――――というよりは女の子――――――が
こちらにむかってぱたぱたと走ってくる。
「澪ちゃん」
少女のほうは、女の子を知っているらしい。澪と呼ばれた女の子も、うんっ とうなずいた。
澪は、やおら口をぱくぱくさせはじめた。唇の動きから何かを伝えている事は分かったが、それが何なのかは浩之にはわからなかった。
「この子、口がきけないんです」目のみえない少女が、浩之に言った。
澪は、身振り手振りと唇で、何とか言いたい事を表現しているようだ。
しかし、このめの見えない少女と、澪という女の子が、いったいどうやって意思の疎通を図るのか。
不謹慎かもしれないが、浩之にはそれが気になって仕方がなかった。
「あっちに・・・浩平君がいた・・・?」通じているらしい。知らない名前が出てきたが。
「すみません。知り合いを子の子が見かけたそうなので、私は行きます。」
「ああ。俺も、人探しの途中だからな。」
「そうなんですか・・・では・・・」立ち去りかけた少女を、浩之は呼びとめた。
「はい?」「名前・・・・・・教えてくれねえかな。」
「みさきです。川名みさき。」
「おれは浩之だ。藤田浩之。伝言、確かに伝えたぜ。」
えっ と言う表情をみさきは一瞬見せたのだが、それはすぐにもとの表情に戻った。
「はい・・・・・・」
言って、ふたりはそれぞれ、分かれた。
「川に沿って進むか・・・・・・」浩之は、前進を再開した。
少年もまた、川をあるく一人であった。
少年の当面の目的。
おそらくここにいるであろう主催者を探す。探して――――――
しかし、それは二の次。とりあえずは、別の人物を探す必要があった。
否、探す必要などなかった。なかったが、少年はその人物を探し出しておきたかった。
自分が守れなかった女の子。
立川郁美を。
知った顔。鉢合わせるなどとは思っていなかった。
黒ずくめ。第一印象はそうだった。
「・・・・・・あんたか」浩之、発言。が、後に続かない。
その黒ずくめの少年が発する異様な怒気。完全に、気圧されていた。
「まさか、先にこっちに会えるなんてな。」少年は忘れていた。もう一人、探し人がいる事を。即ち――――――
郁美ちゃんを、殺した人物。
77番、藤田浩之。
「一つ、確認しておく。」少年が口を開いた。
「あんたと一緒にいたらしい女の子をボウガンで撃ったのは俺だ」
浩之は、おそらくその少年の言いたい事であろう事柄を言う。
「そう、か。」
赤い色つきの殺意が、少年のなかを満たしていく。しかして、それが浩之に向けられるまでに至らない。
(何だこの男は・・・・・・本当に郁美ちゃんを殺したあの男なのか・・・・・・?)
少年の記憶のうちの浩之と、今目の前にいる浩之。その変貌ぶりに、感情が鈍った。
その、一種奇妙な感情も、次の瞬間掻き消える事になった。
「郁美ちゃん!!」浩之の背後側から歩いてくる女の子。間違いない、郁美。
「あっ」黒いお兄さん。言いかけて開いた口が、表情ごと凍りついた。
この人――――――この人は――――――私を――――――
ひっ と叫びたくなる唇をなんとか押さえつけ、郁美は浩之を見上げた。
複雑な顔をしてるなあ。そう思った。恐怖が、薄れていく。
「郁美ちゃん、こっちに来るんだ!」それでも、少年の言葉に郁美はわれにかえり――――――
浩之のわきをすり抜け、そそくさと少年の後ろに隠れた。
「・・・・・・人質に取ったほうがよかったのかな」浩之は、成り行きを見届けた素直な感想を述べた。
「そんなことをしてみろ。おまえは消滅する事になる。」少年は言う。発散する殺意。
「いや・・・・・・冗談だ。」浩之は流した。「俺はもう、人に何かできそうにない。」そう、付け加えた。
「それでも。」少年。「おまえが郁美ちゃんを殺したのは事実なんだ。」
言うが早いか、少年は浩之に向かって――――――
「駄目ですっ!!」声を上げたのは郁美だった。
「郁美ちゃん・・・・・・」あっけにとられたような顔で少年は動きを止めた。
「確かに私はあの人に殺されちゃいました・・・・・・でも・・・・・・いまさら、どうにもなりませんから。
いまここでその人をどうにかしても、私やお兄さんが生き返るわけでもありませんし・・・・・・」肩で息をしながら、続ける。
「・・・・・・その人・・・・・・どうしても悪い人には見えないんです」言ってから、倒れた。
「郁美ちゃん!!」少年が駆け寄った。郁美を抱き起こすと、すぐに安堵の表情を浮かべる。気絶しているだけだ。
「おい おまえ。」浩之に背を向けたまま、少年が言う。「ちょっと来い。」
浩之は、それに従った。殺されるのかな なんて、ぼんやりと考えていた。
振り向きざま、少年は浩之を殴り飛ばした。
たっぷりにメートルは吹っ飛んで、浩之は地面に激突した。
「これで、終わりだ。僕の視界から消えろ。・・・・・・この子が、目を覚ます前に。」
ごめん の一言でも掛けようかと浩之は思ったが、やめた。俺にそんな資格も権利もない。
浩之は、ふたたび歩き始めた。
またしても。
どうしてこうもさっきから、思い出したくない人間が――――――
「ふむ。」
相手は、こちらに気づいたらしい。
「こちらに来たか、少年。」白衣。
「帰る、ことはできなかったようだな少年。それにここにいるという事は、その帰る「場所」とやらには
実はさしたる執着もなかったと見える。」
「場所じゃない。生活だよ。・・・・・・俺が帰りたかったのは。」控えめに反論。
「ふむ。適切な表現だ。」結構結構、と言い、女医は笑った。
「・・・・・・何もしないのか?俺に。」浩之は聞いた。
「何か、というとあれかね。俺はあんたを殺した。あんたは俺が憎くないのか――――――とまあこんな感じかね。
見たところ君は、既に何度かそう言うジレンマに陥っているようだ。いっそのこと憎しみを込めて殴り飛ばしでもしてくれれば、
己の気持ちもはれようというに、なあ。」あの時と同じ、見透かした口調で、女医は言った。もはや張り合う気にもなれなかった。
「しかしだね、少なくともあのときとは別人である「君」に、どうして憎悪をぶつけなくてはならんのだね。」
「・・・・・・え?」
「既に君には私を手にかけたときの狂気が宿ってはいない。あのときの君とは根底から考え方が違っているのだよ。
人格のようなものかな。あの時一時的にオンになっていたスイッチが、元に戻った。それだけのことさ。」
言って女医は、川に向かって石を投げた。しかしその石はどういうことか、川の中ほどまで飛ぶと
そのまま軌道を逆戻りして、女医の顔にぶつかった。
「愉快だろう少年。さっきからずっとこんな調子なのだよ。私としてはここまでされると、なんとしてもこの川の中に
石の一つでも沈めてみたくなるのだがね――――――君もどうかね。」
浩之は、手ごろな石をつかむと、全力で対岸に投げた。
投げられた石はそのままの力で、浩之の顔にぶつかった。
「・・・・・・ッ!!痛ぅ〜〜〜〜」浩之は鼻を押さえてうずくまる。
「まあ、それが私からのパンチだと思ってくれ。君もここでゆっくりと石投げに興じている場合ではないのだろう。」
「・・・・・・だな。」
浩之は立ちあがった。
「あ。・・・・・・名前、教えてくれないか。」
「それならまず自分から名乗り給え 少年。」
「ちぇっ・・・・・・かなわねーな。藤田浩之だ。俺は。」
「私は霧島聖という。」「なるほど医者らしい名前だ。」
浩之は、また、歩き始めた。
「私も佳乃を探しに行かねば、な。しかしここで引き下がるのは何か負けた気分になるからな。」
不毛な川との闘いは、佳乃が聖を発見するまで続いた。
既に予想済み。
「あっ 藤田くん!!」
雛山理緒。この子もまた、俺が殺した。
「よかったぁ〜知り合いにあえて。一緒に行かない?」
顔を見られていたような気もするのだが・・・・・・気づいていなかったのか。俺だということ。
どうする?言うべきなのか。黙っておくべきなのか。
「・・・・・・いいの?俺で。」ああ 黙っていればいいのに、なあ。
「俺は、理緒ちゃんを殺したんだぜ?」
場が、凍りついた。
「俺もどうかしていたのかもしれないけどさ。理緒ちゃんの背中に釘を打ち込んだのは俺なんだよ。
心臓に向けてとどめを刺したのも。」
話を聞いている間にも、理緒の顔から血の気と笑みが消えうせていく。代わりに浮き上がる、恐怖の表情。
「・・・・・・・・・ッ!!」やがて体が震え、あのときの恐怖と痛みを思い出し・・・・・・
自衛――――――即ち逃走――――――という行動に出る。
「近寄らないでッ!あなたの所為で、私は、千沙ちゃんはッ――――――!!」
ちさちゃん。おそらく俺の知らない間に友達になったこの名前なんだろうな。それを正しく問うのは、もはや不可能だろうが。
浩之は、沈黙を決め込んだ。
「なんとか言いなさいよッ!!この――――――この人殺しッ――――――!!!」
言い捨てて、理緒は走り去る。逃げ出した、と言ったほうが正しいのかも分からない。
「――――――ははは」笑いが漏れる。
「そうなんだよなあ・・・・・・普通、こう言う反応だよなあ・・・・・・」
あきらめか。自嘲か。とにかく、浩之はしばらくの間、乾いた笑いを発しつづけていた。
「なんだかんだで、俺、やっぱり殺してるんだもんな、人を――――――」
浩之は、あるきはじめた。
「・・・・・・出たか。」
あの女だ。あの得体の知れない、白に近いような髪の色をした、あの女。
まさか川底からのご登場とは思わなかったが。
「ごめんね。君と話している時間はないんだ――――――」言い残して、その揺らめきそうな体は、川の水面を滑っていく。
「なんなんだろう、あいつ。」しかし、あの女にはかけねばならない言葉があった。
「・・・・・・ありがとう。」俺が立ち直れたのも、夢に出てきたあんたとあの蝉丸というおっさんのおかげだ。
「雅史――――――」
「・・・・・・浩之。」
雅史は、川に向かってたたずんでいた。なにをするでもなく、じっと。
川の向こうを、みつめていた。
なんとなく、浩之もそれに習った。何を話そう。そんな事を考えながら。
雅史は、俺の記念すべき初殺人の目撃者だ。だからなのか、どうなのか。
雅史は、あかりを犯した。
雅史だって、俺とあかりの関係を知らないわけじゃない。俺は、あかりからそれを聞いても、それを信じる事はできなかった。
だとしたら。
あれが、あの、みさきという少女を撃ち殺したのをみたこと。あれが、雅史を、狂わせてしまったのか。
あるいはそのもう少し後、俺が雅史にボウガンを撃ちこんだことか。
いずれにせよ、悪いのは俺だ。
「・・・・・・浩之。」
先に口を開いたのは、雅史だった。
「・・・・・・うん?」
勤めていつものように返したつもりだ。
「・・・・・・僕を、殺してくれないか。」
・・・・・・何だって?
「僕は、あかりちゃんに酷い事をしてしまった。あかりちゃんが浩之の事をすきだって知ってたのに。」
「・・・・・・ああ。」
「浩之が誰か・・・あの女の子が誰なのかかしらないけどさ。あのときの浩之、すごく、怖かったんだ。」
「・・・・・・ああ。」
「僕にも攻撃してきてさ・・・・・・それで、僕、飲んだんだ。何か得たいの知れない薬だったよ。僕の武器。」
「・・・・・・すまん。」浩之は心底、詫びた。しかも、俺はあの時本気で、おまえを――――――
「そしたら・・・・・・そしたら、僕、あかりちゃんに・・・・・・」
雅史の肩がわななき始めた。ゆっくりと、地面に崩れ落ちた。
「僕も・・・・・・あかりちゃんのこと、好きだったんだ。でも、浩之なら、いいかって。浩之なら、あかりちゃん、いいかって。
そう、思ってたのに。なのに。」雅史の目から涙がこぼれた。
「僕は、どうして、あんな、こと。」浩之に聞き取れたのはそこまでで、あとは、雅史の、言葉にならない嗚咽が、ただ、響いていた。
「ごめんよ・・・・・・ごめんよ、浩之。あかりちゃん。ごめんよ・・・・・・」雅史はそれを繰り返して、ただ、泣きつづけていた。
「・・・・・・雅史ィ」浩之も、もう、泣いていた。
浩之は、雅史を抱きしめた。
「俺が・・・・・・俺が悪かったんだ。俺が、コインで、裏を出さなきゃ。いや、俺が最初から、おまえやあかりと一緒に何とかしようって考えれば。
おまえも、あかりも、志保も。畜生。馬鹿なのは、俺だったんだよッ・・・・・・!!」
あとは、2人で、泣いた。ずっと、泣いていた。
そして、神岸あかりは、その一部始終を、見ていた。
泣き崩れる2人のそばに、あかりは、そっと立った。
あかりは、二人を包むように抱いた。あかりは、心からそう思った。
「浩之ちゃん、雅史ちゃん・・・・・・私は、ふたりとも、大好きだよ。」
浩之は、恋人として。雅史は、親友として。
「!・・・・・・あかりちゃん・・・・・・僕を、許してくれるのかい・・・・・・」
「雅史ちゃんも、浩之ちゃんも、きっと、誰も悪くないもの・・・・・・」
悪いのは。一番悪いのは、きっとこのゲームの主催者だ。それが、あかりなりに出した結論だった。
だからこそ、あかりは、雅史を許した。無論、それには雅史の先ほどの告白による効果も多分に含まれていたが。
「う・・・・・・ううう・・・・・・」雅史は、あかりの胸の中で、泣いた。
ふと、浩之が立ちあがって、言った。
「おい、志保。出て来い。」
浩之が言い終わる前から、志保が川底から顔を出した。
「ハロー ヒロ!」
「フロー ヘロってかこの馬鹿野郎。」まさか本当に出てくるとは思わなかった。
「そうだ志保。おまえなにやってたんだ?俺も、雅史も、あかりも、おまえが何をしていたのか知らないんだ。」
「あう・・・・・・」まさか高笑いが原因で殺されたなんて言えるわけがない。志保ちゃんの名折れ。
「どーせまた何の考えもなく高笑いして誰かに撃たれたんだろうがよ」うぐ・・・・・・
「なんだかんだで 結局このメンツか。どうも俺達は腐れ縁だな。」
「どうせなら地獄まで付き合うわよ ヒロ。」
「ここまで来たら、僕だって一緒さ。」
「浩之ちゃんの行くところなら どこでもついていくよ〜」
この絆が切れることはあるのだろうか。結局、あの島の出来事の後ですらこんな始末だ。
俺は、こいつらを愛している。あかりも、雅史も、志保も、きっとそうだろう、そうに違いない。
へっ 地獄行きなら地獄行きにして見やがれ。閻魔様だって 俺達を引き離す事はできないさ。
そうして また。
いつか、また4人で――――――
「これからも、ずっといっしょだ。」
「うん。ずっといっしょだよっ」