Where Have All The Flowers Gone


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神奈は刀に封印された。これですべてが終ったはずであった。
だが、すべてが終った事で、安堵の表情を浮かべるものは誰一人としていない。
月明かりが辺りを照らす中、また一つ傷つき、倒れ、地面に横たわるものが増えていった。
神奈を封印するために、犠牲となった七瀬彰と神尾観鈴。そしてこの島には、あと91もの
傷つき、倒れた者が横たわっている。
今、ここに生き残っているもの達の中にも、傷一つ無いものなど誰一人いない。
ここにいる者のすべてが、身体的にも、そして精神的にも、大きく深い傷を負っていた。



柏木耕一は、自分の身を賭して、耕一の命を救ってくれた神尾観鈴の――すでに
上半身だけとなってしまった――身体を、濃緑の草叢の上へ、大切な壊れ物を
扱うかのように優しく寝かし付ける。

「観鈴ちゃん、ちょっとだけここで待っていてくれる。またすぐにここに戻ってくるから」
耕一は、帰って来るはずの無い返事を少し間だけじっと待つ。
そう言って、時間にしてほんの数秒だけ、自分の命を救ってくれた少女を見つめ、この場所に
横たわるもう一つの身体の元へと赴く。

「……彰」
またしても、来るはずの無い返事を待つ。沈黙が、一人の生者と一人の死者の間に漂う。

「…彰」
もう一度だけ、そこに横たわっている青年の名前を呼び、物言わぬ身体を自分の両腕で抱きかかえる。
思いっきり唇をかみ締め、それまでの形相とは打って変わった、穏やかな表情で横たわり、全身傷だらけの、
そしてすでに呼吸をしていない七瀬彰の細々とした体躯を、壊れるくらいに強く抱きしめている。

観月マナは、そんな柏木耕一の姿を、呆然と見守っている。

月宮あゆは、耕一が安置した、神奈と共に倒れた少女――神尾観鈴――の元に駆け寄り、
その上半身だけになってしまった身体を揺さぶる。
その行為が全く無駄なものであると言うのは、あゆ自身の理性は理解していた。
それでも、これ以上人が死んで行くのは嫌だと言う感情が、起きる筈の無い奇跡を
願うかのように、一心不乱に観鈴の身体を揺さぶり続けさせる。

「観鈴ちゃん。もう起きようよ」
しかし、満足げな表情を浮かべた少女の表情が変わることも、その口から言葉が
紡ぎ出される事も無かった。

柏木梓は、誰に言うわけではなくこの場から姿を消した。
向かう先は、梓にとっての最後の姉妹である柏木千鶴が、傷つき、力尽き倒れた場所であった。
あらためて、横たわる千鶴を目の前にする梓。だが、その体にすがり付くような事は無い。
ただ、何の言葉もなく、千鶴の目の前に立ち尽くしているだけである。
その目には大量の涙が溢れだし、すでに瞳の中に仕舞い込んでおく限界量を超え、
次から次へと溢れ出してくる雫が容赦無く梓の頬を濡らしていた。

椎名繭は、ここで起きた凄惨な場面の連続に耐え切れず、隣に居た七瀬留美の服にしがみついて
震えている。どうやら、ショックに耐え切れず、反転が終了してしまっているようであった。

留美はそんな繭を優しく抱きしめ、頭を撫でている。しかし、その表情は、涙こそ流していないものの、
今にも泣き出しそうなものであった。

そして、巳間晴香――――
その表情に涙は無く、すべての感情を殺してしまったかのような無表情であった。
思い思いの行動を取る他の生者を尻目に、晴香は傷ついた体を引きずり、森の奥へと歩みを進める。
光りさす場所を離れ、まるで暗い場所を捜し求めているかのように、奥へ奥へと、なおも歩みを進める。
辺り一面、鬱蒼と茂った木々に囲まれ、光は一切入ってこない場所。
まるで、そここそが自分の求める場所をであるかのように、ごく自然な動作でその場に座りこむ。


座りこんだ晴香は、ついさっきまで見ていた、光さすあの場所でのやり取りを思い浮かべていた。
その場にいる誰もが、悲哀、恐怖、憤怒と言った負の感情を、その表情に浮かべていた。
しかし、晴香だけは、他の人達とは違った表情を浮かべていた。
あの場で感じた事は、ただ「これでやっと終った」と言う事だけであった。
そこには、いかなる負の感情も入りこむ事は無かった。


「私って、本当に薄情な女だよね」


「私だって、この島で兄さんや、古くからの友達であった郁未、葉子さんを失った。由依なんて、
私のために死んでしまったのに。そしてこの島に来て初めて会った友達たちも、数多く失ったんだよね。
なのに、貴方達の為に涙の一つも流してやれないんだから…、
本当に薄情な女だよね、私って」
そう言って、晴香は自嘲的に笑う。

「ねえ、兄さん、葉子さん、郁未。この島で一緒に行動を共にする事は出来なかったけれど、
あなたたちは最後まで幸せだった?
ねえ、智子、マルチ。あなたたちは本当に最後まで幸せだった?
ねえ、みんな。みんなは本当に幸せだった?
由依。あなたは、私のために命を失って、良かったって思ってる?それで本当に幸せだった?」
晴香の脳裏に、自分の兄の顔、古くからの親友達の顔、この島で出会った友達の顔が次々と
浮かんでゆく。脳裏に浮かぶ表情は、どれもみな一様に幸せそうな顔をしていた。
その幸せそうな顔が、次々と晴香の脳裏を横切って行く。
それとは反対に晴香の顔はどんどんと曇って行く。

「……私は、今はぜんぜん幸せじゃないわ。だって、生きていたって貴方達が一緒ではないんだから。
これからずっと、貴方達なしでいくつもの季節を越えて行かなければならないんだから」

「……でも、それでも、今は幸せではないけど、いつか、いつかきっと幸せになって見せるから。
貴方達の為に涙すら流す事の出来ない私が、自分の為にしか涙を流せない私が、貴方達に
してあげられる事なんて、何もないかもしれない。
でも私、貴方達の事、そして貴方達と過ごした時間を、一生、絶対に忘れないから、
そして、貴方達のために涙を流す変わりに、いつか誰よりも幸せになって見せるから
だから、今は、今だけは、この場所で少しだけ休ませて…」

誰に言うでもなく、小さく呟く。

この島に来て、悲しみの感情を無意識的に、完全に押さえこんでいた晴香の、精一杯の本音だった。
自分の心の奥に眠っていた感情を、誰に聞かせるわけではなかったが、言葉として風に乗せた事で、
それまで押さえ込まれて来た様々な悲しみの感情が、いっぺんに晴香の中から溢れ出してきた。
そして、何かが、瞳の中に溢れだし、晴香の頬を伝わり、雫となって零れ落ちて行く。
それまで、自分と、生きている者達の為にしか零れ落ちることの無かった雫が、死んでいった者達の
事を考えても、零れ落ちることの無かった雫が、不意に晴香の瞳の中から溢れ出してくる。

「今更になって、貴方達の為に涙なんか流したって、もう遅いよね…」
そう言って含羞んだ笑いを見せ、両目から零れ落ちる雫を掬う。しかし、掬っても掬っても、目から
零れ落ちる涙は止まらない。

「どうして、どうして、今頃になって………」
これまで無表情であった晴香の顔が、これまでこの島で見せた事のないような感情的な表情に支配されて行く。
今更になって涙を流している自分が、そして、感情を剥き出しにしている自分が、酷く恥かしく思えた。
晴香は、涙に濡れた顔を隠すように、自分の両膝の上にうずめた。



“ポンポン”

その時、背後から不意に、右肩を軽く叩かれる。
柔らかく、そして暖かな衝撃に反応し、晴香は涙に濡れた顔を持ち上げる。正面を向いた視線の端に、
ここ数日の間で、見るのも飽きてしまうくらいに見なれた顔を捉える。晴香はごく自然な動作で、
その見慣れた顔を、自分の視線の中心に持って来る。
視線の中心に着た見慣れた顔。七瀬留美の表情は、今だ悲しみを押し殺すような表情が
残ってはいるものの、つい先程までの、生気を失ったような蒼白な顔色ではなく、
かすかな生気を伴ったものに変わっていた。
その後ろには、所在無さげに、留美の服の袖を掴んで離さない繭の姿があった。
本当に見慣れたその顔は、晴香の流す涙のせいか、酷く歪んで見えた。

「……晴香」

「……七瀬」

涙を流し、感情的になっている晴香の表情を見て、留美はほんの一瞬だけ、驚愕の表情を浮かべたが、すぐにもとの表情を取り戻す。

「……」
「……」

お互いが、お互いの名前を呼んだきり、何の言葉も交されない。
三人を覆う空気は沈黙に包まれ、ただ風に揺れる木々のざわめきだけが音として、風に乗っている。
沈黙の続く長い時間、その間中、留美は晴香の顔から視線を外さなかった。


“ポンポン”

再び留美が晴香の肩を、脇から抱えこむようにして、優しく叩く。
そして、そのままの状態で、留美は強引に晴香の体を引き寄せ、晴香の細々とした肩を、両の腕で抱きしめた。

「……」
「……」
ほんの少しの間だけ、優しく晴香を包みこむように抱きしめ、二人はすぐに離れる。
その一連の動作の中でも、一切の言葉は風に乗らない。

「……」
「まだすべてが終ったわけではないんだから、早く行くよ」
お互いが、お互いの名前を呼んで以来、この空間に、初めて言葉が辺りを駆け巡る。留美が、一瞬だけ視線を、元いた光さすあの場所へ移し、立ち上がり、晴香に背を向ける。
晴香に背を向ける最後の瞬間。晴香には、留美が、これまで見せた事の無いような優しい笑顔を見せた、
…様な気がした。

繭を引きつれ、光さすあの場所へ戻る留美の背中に向かってただ一言だけ、
留美に聞こえないように、とても小さな声で、言葉を紡ぎ出す。

「ありがとう」

それだけ言うと、すぐに立ち上がり、留美の後を追い、暗く、鬱蒼と茂った
森の奥深くから、光さすあの場所へ帰って行く。
晴香の目から零れ落ちていた涙は、何時の間にか乾いていた。


「あたし、これから、絶対に七瀬達と幸せになってやるんだから」
誰に言うでもなく、心の中で誓った。
その表情には、これまでの、感情を押し殺したようなものではなく、
滲み出るように優しくい、少し照れたような笑顔が浮かんでいる。
そして、晴香の身体には、あの時、ほんの一瞬だけ交した抱擁。
ぶっきらぼうながらも、優しく暖かな、留美の両腕の感覚が、
今も鮮明に残っていた。


あまりにも多くのものを失ったこの島の中で、ただ一つだけ与えてくれた、
掛替えのないもの。
この島で失ったものの巨大さに比べれば、得たものはあまりにも小さなもので
あったが、今はただ、その存在がとても嬉しかった。

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