追憶そして


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そこは「無」
なにもないところ。

なにもないところに、彼女はいた。
かつて、神奈と呼ばれた存在。



(静かじゃ)
こんなに静かなのはどのくらいぶりだろう。
あの悪夢が始まってから、自分には一時もこのような時間はなかった。
(もう、あそこに戻るのは嫌じゃ)
この場所……場所と呼べるかどうかは分からないが……に、永遠に留まるのも悪くはなかろう。
永遠の、安息を――――――



「……お前か」
入りこむ影、ひとつ。
「おぬしを利用した余に復讐にでも来たのか?」
返事は、ない。
「余が憎かろう。おぬしの体を利用し、思うまま殺戮に走った余が。」
返事は、ない。
「殺すがいい 余を。消滅させてしまうがいい。」
なんでもいい。
あの悪夢に、帰らなくとも済むのなら――――――



「だめだよ。」
人影が言った。優しい声だった。
「それじゃあなたは、いつまでも悲しいまま。」
それを聞き、神奈は激昂した。
「だまれ!お前に余の何がわかるというのじゃ、余の悲しみが、苦しみが、悪夢が、
お前にわかるとでも言うのかっ……!!」
激しい声だった。強く、荒く。
そして、悲痛な。
「分かるよ……だって。」

「わたしは、あなた。」

人影が、こちらに迫ってくる。
神奈は、退いた。
「あなたと同じ悲しみを……わたしも持っているもの。」
一歩。
「く……来るでない……」
また一歩。
「あなたと同じ痛み……わたしも感じていたもの。」
影は。
「来るでない……来るな……!」
神奈を――――――



影に包まれた瞬間、神奈に流れ込んでくるものがあった。
それは懐かしい、あの夏の日の記憶。
一人の無礼者と出会い、母親と別れたあの夏の日々。
そしてもう一つは、自分の知らない記憶。
一人の旅人と出会った、夏の日の記憶。
旅の男と過ごした、あの夏の日々。
それは。
幸せだった、あの夏の日々のカケラ――――――



神奈は我に返った。
影が、自分を抱きしめている。
不思議と、嫌な気分ではなかった。
そして、神奈の目に留まるもの。
それは、夏を共に過ごした、愛しい人。

「りゅうや、どの……?」



影の手を離れた神奈は、一心に柳也のもとへ。
「柳也どのっ、柳也どのっ、りゅうやどのぉっ……!」
まるで、年端もいかぬ子供のように、神奈は泣きつづけた。
柳也と呼ばれた影は、子供をあやすようなしぐさをしながら言った。
「神奈。よくきけ。」
「いやじゃ!もう、夢を見るのは沢山じゃ!余は、柳也どのと共にいたいのじゃ!」
話のないようを察していたらしい。神奈は、一層泣き始めた。
「駄目だ、神奈。お前が犯した罪は、お前が罰を受けなければ赦されない。」
ないようとは裏腹に、けして突き放すような口調ではなかった。
「罪?余が、なにを……」
「島で、おまえが殺した人間がいるだろう。」
「……ッ!」
思い出す。桃色の髪をした少女。緑色の髪をした少女。
一言も喋る様子のなかった少女。金髪の少年。蛇。そして、あの鬼飼い。



「うう……ううう」
神奈は、また泣き出した。それは夢に戻る事に対してか、
それとも、「罪」の意識によるものであったのか。
体を震わせて、押し殺すように。
神奈は、泣いた。

「……安心しろ。」
「柳也」の腕に力がこもった。
「俺が、待っている。お前の罪が赦されるまで、俺がずっとまっていてやる。」
「……!」
「だから、行ってこい。多分、すぐに終わるから。それに……」
そこで神奈はもう一つの影を認めた。それは、柳也とともに彼女を支えつづけた人物で。
「裏葉ぁ……」
「こいつも、待っているからな。」
「……」
「俺と裏葉はお前を応援しながら、いつまででも待っている。」
だから、行ってこい。そういったきり、影は口をつぐんだ。



「……待っていて、くれるのじゃな?」
神奈が、口を開いた。
「ああ。……待ってる。」
「いや、待っておれ、これは命令じゃ。」
その声は先ほどまでの神奈ではなく、あのわがままな翼人、神奈備命のものだった。
「……承知した。翼人様の命とあらば」
もっともらしく、柳也の影は応えた。心なしか、その顔は笑っているように見えた。
そして、神奈の姿が消えていく。
(――――――三人とも)
最後に。
(――――――感謝するぞ――――――)
そういって、神奈は姿を消した。



「わたし……あの子に何かしてあげられたかな。」
「ああ。観鈴、おまえは十分過ぎる程よくやったぞ。」
「せや。お前はようやったで。」
「にはは、観鈴ちん、がんばった。」
「それじゃ、そろそろ行くか?」
「え?往人さん、あの子を待ってなくていいの?」
「せやで居候。男なら約束守ったらんかい。」
「いや……待ってたから、おまえがいるんだろう。」
「え?」
「……何でもない。それより……」
「往人さん、この手なに……?」
「共に、いたいんだろ?」
「おー なんや居候、恥ずかしい事言っとるでー 智子あたりにちくったろー」
「晴子っ!」
「お母さんっ!」
「わははー なんや二人とも耳まで真っ赤になっとるでー わははー」



約束しよう。
どれだけ生まれ変わっても、お前と共に生きる事を。

約束しよう。
お前に、幸せな記憶を刻みつづけてやる事を。

約束しよう。
たとえ汗が滲もうと、この手を離さないことを――――――

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