小さな籠と大きな鞄
「……ふぅ」
彼女は参考書を閉じた。
机の脇には山のように本が積まれている。全て同じ分類に属する書籍だった。
そこに自分が開いていた参考書も積み上げ、山が一団高くなる。
その山をぼんやりと見やりながら。
(思った以上に大変よね、これは……)
すぐに、それはそうだろうと納得する。
人命を預かる医の道に簡単に進めてしまうのなら、実際に命を預けなければ
ならない側にとってはたまらない話だろう。
そして自分は、その困難な道を突き進まなければならない。
(さて、そろそろ時間かしら)
時間ぎりぎりまで勉学に励んでいるつもりだった。とはいえ、さすがにもう
出なければならない時間だ。
準備は昨日のうちに済ませてある。鞄一つ。荷物の中に、件の参考書の類は
一切含まれていない。さすがに、今回の用件の最中にまで参考書を開いている
つもりはなかった。
その大きめの鞄の肩ひもをかける――前に。すぐ脇にある小動物用の籠を手
に取り、その蓋を開ける。
「あんたも行くでしょ?」
マナは、自分のベッドで気持ちよさそうに寝ている猫に声を掛けた。
(…………)
彼は、重い頭を何とかもたげ、自分の安眠を妨害してきた相手に目を向ける。
ようやっと濁っていた意識が覚醒し、状況を把握し始める。
自分を籠の入り口へと誘導しようとする彼女を見て、彼はうんざりしつつも
呟いた。
(……ったく、またそこに入れってことか?)
窮屈なのは、嫌だった。性に合わない。
彼女が自分をどこかに連れだそうとする時は、必ずその籠に押し込めようと
する。成功した試しはないが。
(ま、悪いがまっぴらご免だな)
いつものように、彼女の手を間をすり抜け、背中を登り、自分の定位置――
彼女の頭の上までやってくる。
最初の頃はどうもうまくいかず、彼女の頭から振り落とされたり、逆に彼女
の頭皮に爪を立てたりもしたが、今では上手く彼女の頭に乗れるようになって
いた。
(んじゃまあ、後は頼むわ。俺は寝る)
ぴろは、彼女の頭の上で再び眠りについた。
「こいつは……」
いつものように為す術もなく頭に乗られてしまった以上、もう打つ手はない。
下手に振り落とそうとしても、爪を立てられ悲惨な思いをするだけだ。重さに
はもう慣れた。
ただ、今日は外に出るだけではない。長時間、電車に乗っていることになる。
その間は絶対にこの籠に入ってもらわなければならない。
(これはぬいぐるみで、いつも頭に乗っけているんですよ、ははは――なんて
言い訳するのは絶対に嫌よ)
電車に乗るまでぐらいは、この状態で勘弁してやろう。そう思うことにする。
手に下げるのは、何も入ってない小さな籠。
肩に掛けるのは、荷物の詰まった大きな鞄。
頭に乗せるのは、一匹の猫。
心に想うのは、島でなくした大切なもの。
さあ、通夜へ行こう。
(……第一志望の下見も兼ねた、ね)